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外交研究会 要旨 (2010年)

トルコの最近の政治社会の変化について
  ~再イスラーム化の新たな動向 

2010.10.8
内藤 正典

1.外務省革新派の形成

  1. ムスリム世界唯一の厳格な世俗主義国家で国民国家である。それを定めた憲法第2、第3条は、改正不可条項とされている。
  2. 建国の父アタテュルクによる西欧近代国家の建設。モデルはフランスの厳格かつ反宗教的な政教分離であったため、今日の問題の原点となった。
  3. 結果として、たえずイスラーム勢力による揺り戻しにさらされてきた。
  4. 1980年9月12日、最後の大規模クーデタにより、イスラーム主義政治家の追放を図ったが後に国民投票で復活し、80年代以降、イスラーム政党が政治の中枢に登場するようになった。
  5. 1996年、イスラーム主義の「福祉党」(Refah Partisi: RP)、中道右派の正道党と連立。首相はRPのネジメッティン・エルバカン。福祉党は158議席獲得第1党。
  6. 1997年2月27日、密室のクーデタとよばれる政変が起きた。国家安全保障評議会の場でエルバカン首相に退陣要求がなされ内閣崩壊。
  7. 1998年、憲法裁判所、福祉党を憲法違反(世俗主義条項)で解党。
  8. 後継政党として美徳党(Fazilet Partisi:FP)結党(1997~2001)1999年総選挙では111議席獲得。
  9. 2001年、美徳党も、憲法裁判所により解党。
  10. 2001年、美徳党の後継として、幸福党(Saadet Partisi:SP)設立するも、アブドゥッラー・ギュル、レジェプ・タイイプ・エルドアン、ビュレント・アルンチ等は旧来のイスラーム主義政党から分離し、 公正・発展党(Adalet ve Kalkinma Partisi:AKP)結党。左派、中道政党からの移籍組も含め優位に。
  11. 2002年総選挙で、公正・発展党圧勝(363議席/550)。初のイスラーム政党による単独与党政権成立。 当時、エルドアンはイスタンブル市長時代の選挙演説がもとで憲法違反に問われ公職追放中だったため、ギュルが首相。2003年にエルドアンが首相、ギュルは外相に。
  12. 2006~07年、イラクから越境してくるPKK(クルド労働者党)によるテロ、攻撃頻発。トルコ国軍は、米国との情報共有のもとにイラク越境攻撃を主張。政府は慎重姿勢なるも08年1月に越境攻撃を承認。 このプロセスで、議会承認⇒政府が外交ルートで地ならし⇒軍に攻撃命令という手順を踏む。シビリアン・コントロールを実現。
  13. 2007年、世俗派のセゼル大統領の任期満了にともない、ギュルを大統領に選出するも、野党の世俗主義・民族主義政党「共和人民党」(CHP)が、憲法裁判所に大統領選出の無効を訴え勝訴。 エルドアン内閣は大国民議会を解散し総選挙。43%の得票(341議席)で圧勝。第二期エルドアン政権。ギュルは大統領に選出。
  14. 2008年、共和国最高検は公正・発展党を世俗主義違反として憲法裁判所に提訴。7月、11人の判事のうち、6人が解党、4人が憲法違反なるも政党助成金半減、1人(長官)は訴を無効と判断。 政党解散には7人の賛成が必要のため、公正・発展党は辛くも解散をまぬがれた。
  15. その後、憲法の改正議論が与党から活発化。
  16. 2008年、軍による政府転覆の陰謀「エルゲネコン」疑惑。軍の元幹部ら逮捕。
  17. 2009年~、軍による政府転覆の陰謀「バリョズ:鉄槌」作戦疑惑。軍の現職、元職幹部、統合参謀次長、軍司令官、世俗主義派ジャーナリスト、知識人ら逮捕・起訴。 疑獄か、冤罪かは現状では不明なるも、軍の政治干渉に対する与党側の反撃であることは明白。
  18. 2010年、憲法改正を問う国民投票が9月12日に実施。賛成58%で政府案承認 26項目からなる改正提案。①労働者、女性の権利向上、②軍の政治介入排除、③司法(裁判所+検察)に対して法務省の関与強化、憲法裁判所判事を増員し、議会推薦の判事を参加させる等の内容。 ③は、イスラーム主義を表に出した場合に、訴追をまぬがれるため。
  19. 2010年10月1日、大国民議会開催。会期中に憲法改正案審議。

Ⅱ.トルコの外交上の位置

  1. EU加盟には国民・政府とも「熱意」はなし。正式加盟交渉は2005年10月に開始されており、それを中断したのはEU側の事情による理不尽な決定という姿勢を崩さず。 加盟は権利として粛々と進めるのみ。
  2. EU諸国側は、トルコの姿勢を誤認。
  3. 米オバマ政権は、トルコの仲介外交に期待。①アフガニスタン復興支援でのISAF派兵、民間ベースでのインフラ整備、警察等治安機関の訓練、他にイスラーム勢力がアフガニスタンでの教育などを支援、 ②イラン核開発について。トルコはイランと良好な外交関係維持。 ③パレスチナ問題。先のガザ支援船派遣は、トルコ政府首脳とイスラーム系NGOとの共同作戦。政府首脳は拿捕・攻撃を事前に予想していた。
  4. アルメニアとの国交正常化、クルド問題の政治解決を現政権は掲げる。

Ⅲ.公正・発展党政権の意図

  1. 西欧近代国家型のトルコ共和国の骨格は崩さないものの、イスラーム法の適用範囲を拡大していくのではないか。「民意」を受けるかたちでのイスラーム化を「民主化」ととらえているので、現状では国民の支持を受けている。
  2. 欧米諸国の懸念を回避するために、「軍の干渉排除」を国民投票の成果として強調しているが、内実は、イスラームの顕在化に道を開くものといえよう。
  3. 国民投票後の議論では、憲法改正に、改正不可条項も含めるべきとの論調もイスラーム主義派の学者にはみられる。 改正不可は「共和国」としての政体のみにとどめるべきで、世俗国家、社会(的)国家、絶対不可分などをはずすという意見も憲法学者のあいだにある。
  4. EUとの関係では、現政権の意図は、「唯一のムスリム国家としてヨーロッパに地歩を固める」ことにしかない。 強烈なトルコ民族主義が、どこまで弱体化するか。弱体化は、民族主義に代わって、イスラーム主義を紐帯とする新たな国家像を描くことを意味するのか?今後の展開に注目すべきである。