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外交研究会 要旨 (2011年)

インドネシア政治はどうして安定したのか     

 2011.3.31
 白 石 隆

  インドネシアでは2004年以来、ユドヨノ大統領の指導下、政治的安定と順調な経済発展が続いている。1998年、アジア経済危機のさなか、スハルト体制が崩壊し、ハビビ、アブドゥルラフマン・ワヒッド、メガワティと大統領が次々交代したことを考えれば、まさに様変わりである。ではインドネシアはなぜこのように安定したのか。

  インドネシアには、だれが大統領になっても、うまく「管理」しなければならないさまざまの社会的亀裂がある。スカルノは「われわれ」はすべて「インドネシア国民」であるとナショナリズムに訴え、外に敵を求めることで、この社会的亀裂を封じ込めようとした。それが破綻して、共産党の物理的解体とスカルノの失脚に帰結した。スハルトは安定と開発(経済発展)によって体制を正当化した。その基本的論理は<政治的安定→経済の発展→雇用創出→貧困削減・生活水準向上→政治のさらなる安定>であり、安定を脅かす社会的亀裂はすべて強権的に封じ込められた。これは長い間、うまくいった。しかし、アジア経済危機で頓挫した。経済が収縮し、雇用が失われ、インフレが昂進して、貧困層が拡大し、社会危機が政治危機に深化したからである。では現在、こうした社会的亀裂はいかにして「管理」されているのか。

  インドネシアの憲法体制はスハルト体制崩壊後、大きく転換した。1945年憲法がスハルト長期独裁政権を許したとの反省に立って、国民主権、基本的人権の尊重、三権分立を原則に、実質的に新憲法に等しいものが制定された。大統領直接選挙が導入され、任期は2期10年とされた。国会は、立法権、審査権、予算制定権等、その権限が明確に憲法に規定された。また憲法改正と軌を一にして政党、選挙、議会の構成等についての法律が制定され、1999年には国会議員選挙、2004、2009年には国会議員選挙と大統領選挙が実施された。その結果、国民政党を標榜する民主党(ユドヨノ大統領の党)、民主党闘争派(メガワティ前大統領の党)、ゴルカル党(スハルト時代の大政翼賛機関、現在の総裁はアブリザル・バクリ)の3党が議会の3分の2を支配し、イスラム国家建設を標榜する福祉正義党、開発統一党の勢力は議会の20%以下となった。また2004年の大統領選挙ではユドヨノが現職のメガワティを破って大統領に選出され、2009年選挙で再選された。

  地方自治も拡大した。これは1999年にはじまった。県・市が地方自治の最重要単位とされ、地方自治体(州、県・市)は中央政府から国家歳入の最低25%を分与されるとともに、天然資源収入の分配(原油収入の15%、天然ガス収入の30%)も受けることになった。また2004年には地方自治体首長の公選制が導入された。この結果、多くの地方自治体が新設された。州、県・市を新設すれば、首長、副首長、幹部公務員、地方議会議員のポストが増える。中央政府からの資金配分も保証されている。地方エリートは自治体新設によって中央から分与される資金を独占的に使えるし、住民にとっても公共サービスの提供者が身近になることは悪いことではない。こうして1998年には26州、314県・市だったものが2008年には41州、478県・市に増加した。また中央から地方への資金配分(国家歳入に占める地方配分額の割合)は2001年の19%から2007年の34%まで増加し、2007年には、中央政府、州政府、県・市政府のインフラ関係資金の出費比率は43・3%、21%、35・7%となった。ではそれにどのような意味があるのか。

  それを見るには北スマトラと中部ジャワの2州でなにがおこったか見るとよい。北スマトラの人口は2000年で1151万人、その民族別構成は、ジャワ人375万人(33%)、タパヌリ・バタック人183万人(16%)、トバ・バタック人112万人(10%)、マンデイリン・バタック人91万人(8%)、ニアス人73万人(6%)等、きわめて多様であり、宗教的にもイスラム教徒753万人(65%)、カトリック教徒55万人(5%)、プロテスタント306万人(27%)等、やはりきわめて多様である。一方、中部ジャワの人口は3404万人、うちジャワ人3331万人(98%)、イスラム教徒3280万人(96%)、民族的にも宗教的にもひじょうに均質である。

  北スマトラでは、県・市の数が、2000年から2008年にかけて、19から26に増加した。また県知事、市長選挙において、国会における主要7政党以外の小政党17党が13県・市(50%)で与党連合に参加した。一方、中部ジャワでは、県・市の数は2000年と2008年で変わらず、国会における主要7政党以外の小政党が与党連合に参加しているのは6県・市(15%)にすぎない。なぜか。北スマトラでは、さまざまの民族集団が自分たちに都合の良いかたちで地方自治体を新設し、またさまざまの民族集団が小政党もふくめ多くの政党によって代表され、そうした政党の連合として与党連合が結成された。中部ジャワではそういう民族集団の政治はまったく問題にならない。しかし、それでも、敬虔なイスラム教徒と統計上のイスラム教徒、イスラム教徒でない人たちとの亀裂、特にイスラム法の遵守を法律的に担保すべきと主張する敬虔なイスラム教徒とそれに反対する統計上のイスラム教徒、イスラム教徒以外の人たちの対立には深刻なものがある。多くの県・市ではこの対立は国民政党とイスラム政党が与党連合を結成することで封じ込められた。しかし、中部ジャワでは6県・市、北スマトラでは3県・市でイスラム政党のみの与党連合が結成され、こうした県・市の中には条例によってイスラム教徒に対しイスラム法の遵守を義務付けたところもある。

  ではこのように社会的亀裂が民主化と地方自治の進展で封じ込められるとなに政治の国民的課題となるのか。もちろん経済、特に雇用と物価と貧困の問題である。これを示すのが図1である。つまり、人々は政治の安定とともにまた、政治の目的は<経済成長→雇用創出→貧困削減・国民生活の改善>にあると考えるようになった。2009年選挙における民主党躍進、ユドヨノの再選、テクノクラット・ブディオノの副大統領選出はこれを見事に示したものだった。

図1 経済と大統領業績評価、民主党支持

Lembaga Survei Indonesia, "Efek Calon Terhadap Perolehan Suara Partai Menjelang Pemilu 2009: