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銀色委員会報告書私案                 


 2003年から2005年にかけて当研究所において「銀色委員会」と呼ばれた会合を開催して高齢者問題が議論されました。この研究会のメンバーは、
  嘉治元郎 東大名誉教授、
  駒村康平 東洋大学教授、
  酒井博司 三菱総合研究所主任研究員、
  高橋 元 元大蔵事務次官、
  田中 努 中央大学教授、
  平泉 渉 座長、
  深田 宏 元在豪州大使   
(あいうえお順)
でした。自由で活発な議論が行われ、極めて有意義な会合でしたが、その性質上メンバー全員の合意を得た最大公約数的な報告書を作成することは控えておりました。
 合意された報告書ではありませんが会合の最終に近い段階でメンバーの一人である田中氏に報告書の私案とも言うべきメモを書いて頂きました。
 メンバー各位の貢献に感謝します。

2007年3月
鹿島平和研究所
会長 平 泉  渉


目次

  1. 序−人口減少・高齢社会へのパラダイム・チェンジ
  2. 減少する人口
  3. 高齢社会への移行
  4. 社会保障
  5. 高齢社会と農業
  6. 高齢社会における高齢者の社会的貢献
  7. 銀色の独立国構想


1.序−人口減少・高齢社会へのパラダイム・チェンジ


 人口減少と高齢化社会の問題は人類の歴史が直面する全く新しい挑戦である。人口増加と若壮年型の人口構成を前提に築き上げられてきた社会的制度や行動様式とは異なる新しいパラダイムが求められている。
 日本の人口は2006年をピークに減少に転じ、21世紀半ばには1億人又はそれ以下に減少すると推計されている(国立社会保障・人口問題研究所2002年中・低位推計)。人口減少は日本だけの問題ではない。工業国の人口は2000年の約12億人をピークとしてすでに減少をはじめている(国連人口部2003年中位予測)。 途上国の人口は増加を続けるものの増加率は予想以上に鈍化しており、世界人口は21世紀の後半に92億人程度でピークに達し、以後減少に向かうものと推計されている(同上)。日本の人口も世界の人口も、ともに歴史的な転換点に立っている。
(人口減少)
 急激な人口動態の変化に対してどのように対処するかについては、@なるがままにまかせる、A将来の望ましい国の姿を描きそれを目指して対策を講じる、という二通りの対応が考えられる。過去の日本では、政策的に人口を左右しようとする動きもみられたが、人口を政策的に動かせる範囲は限定的であり、また政府の過度の介入が望ましいかには疑問がある。基本的には減少に向かう新しい趨勢の中で、今後の最適人口数を模索する必要があるだろう。日本の場合、人口数が過大で種々の混雑現象を生み出していた状態から正常化する過程に入ったとも考えられ、ヨーロッパ各国の人口数と比較すると、日本のような国土面積では、3000万人前後の人口が妥当とも考えられる。
 従来の日本の制度や政策が人口増を基本につくられてきたことを考えると大きな転換を迫られることになる。今後はGDPの規模の拡大よりも1人あたりGDPと生産性の上昇に重点をシフトさせる必要がある。世界の趨勢を見ると、人口減少が基本趨勢となっている工業国では、一人当たり生産性の伸び如何によってはGDPの規模が低下する国が出る一方、インド、中国、ブラジル、などの人口大国では、人口の伸びは鈍化するものの、人口増加数は依然として大きく、GDPの規模の拡大が予想される。将来的には、これらの国がGDP大国の位置を占める可能性が高く、日本を含めた工業国の世界経済、ひいては国際政治における新しい位置づけが模索されることとなろう。
(高齢化)
 人口の減少に伴う人口構成の高齢化は、従来の若年層中心の人口構成に適応した社会経済構造の根本的かつ急速な転換を迫るものであり、対応を誤れば社会経済の持続可能性の危機をもたらしかねない。高齢社会では、高齢者が自らの健康と知的水準を維持向上させ、高齢者が生き甲斐をもって社会に貢献できる社会をつくることが第一義的に重要な社会経済的課題となる。また女性のエンパワーメントによる社会経済的貢献度の向上に積極的に取り組むことも必要である。これらの課題への取組みは、生産性や一人当たりGDPの成長率の維持のために必須であり、これに成功しなければ社会保障制度の維持もまた不可能であろう。
  このような経済社会を実現するための具体的な方策として、高齢者が労働を続けていくことに対するインセンティブを如何にして維持して行くか、が問題となる。この点については、社会保障制度によるセーフティーネットが適正に設定されることが求められる。もう一つの問題は、高齢者に如何にして有意義な仕事を見出して行くかである。新しい形の農業は高齢者に適する一つの有力な仕事である。環境の維持と潜在的な自給率を維持する上でその社会的意義は大きい。農業に限らず工業においても精密な手工業型産業(例えば織物や陶芸など)は高齢者が十分に参加できる産業である。教育、芸術、観光などのサービス業も高齢者に適している。今後は、近代社会とはまったく異なる新しい文化産業に高齢者が進出することが期待される。

2.減少する人口

■人口動態

 日本の人口はいま歴史的な転換点を迎えている。日本の人口は2006年の1億2774万人をピークに減少に転じ、2050年にはおよそ1億60万人になると予想されている(国立社会保障・人口問題研究所の2002年1月時点での推計)。これは中位推計の結果であるが,低位推計では平成16(2004)年の1億2,748万人をピークに、2050年には9200万人に減少することが予想されている。 
 人口動態の変化の最大の原因は合計特殊出生率が1970年代半ばに人口を一定の規模で保持する水準(人口置換水準、合計特殊出生率でおよそ2.08)を割り込み、以後四半世紀にわたって低下を続けていることにある。 
 合計特殊出生率の今後の動向については、中位推計では2000年の1.36から2020年に1.31まで低下した後は上昇に転じ2049年には1.39の水準に回復すると想定されている。しかしこの想定は2002年において合計特殊出生率が1.32まで低下している現実から考えるとすでに陳腐化している。 これに対し低位推計では合計特殊出生率は2000年の1.36から低下を続け、2049年に1.10に達すると想定されている。したがって将来人口推計も低位推計の方が蓋然性が高いと判断される。
 このような人口減少の動きは日本だけのものではなく先進国に共通している。欧州諸国でも1950年代初に独で合計特殊出生率が2を割り込んだのをはじめとして、現在ではすべての欧州主要国で2を大幅に割り込むまでに低下している。独、伊ですでに人口増加率はマイナスとなっており、その他の国でも近い将来に人口増加率がマイナスに転じることが予測されている (米国は人種的多様性のために欧州諸国とはことなり合計特殊出生率は今のところ約2を維持している)。 
http://www.ipss.go.jp/japanese/newest02/1/suikei_g.html
http://www.unpopulationg.org

■合計特殊出生率低下とその原因

 人口学における「人口転換」論によれば,欧州(特に英国)の経験に基づくと,人口動態のパターンには次の四つの段階があるとされる。
  第1段階 多産多死均衡
  第2段階 死亡率低下(1750年頃ー)
  第3段階 出生率低下(1880年頃ー)
  第4段階 少産少死均衡(1930年頃ー)
 多産多死でほぼ静止人口状態にあった第1段階から人口爆発が始まる第2段階への移行の主因となったのは死亡率の低下であった。これは産業革命前後から起こった所得水準の向上、食糧供給の増加、公衆衛生施設、医療技術の向上などによるものである。130年ほど遅れて起こった第3段階への移行の主因となったのは出生率の低下である。この段階における出生率の低下の理由として次の三つが挙げられる。@乳児生存率の上昇(乳児死亡率が高いときに見られる過大出生が回避される)、A子供の経済的価値の低下(農業のウエイト低下や義務教育の普及による労働力としての価値の低下、社会保障制度の整備による将来の生活保障価値の低下など)、B養育の機会費用の上昇(女性の高学歴化、就業機会の増加及びそれに伴う女性の結婚年齢の上昇、独身率の上昇,結婚した家族の出生数の減少など)。
 第3段階では、出生率が低下に転じるが、死亡率を上回るので人口増加が継続する両者の差が縮まるにつれて人口増加率は鈍化する。第4段階ではこれらの変動要因が一巡して少産少死の新しい均衡(定常人口状態)に入るものと想定されていた。しかし第4段階は短命に終わり、第2次大戦後は(ベビーブームのあった国では少し遅れたが)合計特殊出生率の低下が顕著となり、独、伊をはじめ欧州各国などで人口の減少が現実のものとなりつつある。したがって工業国における2000年以降の人口減少は、人口転換論に新たな第5段階を付け加えるものともいえる。 
 第二次世界大戦後の合計特殊出生率の急速な低下の主因は女性の地位の向上による養育の機会費用の上昇要因が強まったことにあると思われる。人口の減少による労働力不足は女子労働力に対する需要を強め、そのことが合計特殊出生率の低下を招き人口の減少に拍車をかける自己増幅作用も働いている可能性がある。この局面の位置づけはまだ確定しているわけではないが2000年以後「人口転換」の第5段階ともいうべき新しい段階に入ったとみることができるだろう。
 国連人口部による2003年2月の最新の予測によると、先進国の人口(米国を含む)は2000年の約12億人がピークで2050年にかけて減少が見込まれている(中位予測及び低位予測)。途上国では人口は増加を続けるが人口増加率は予想以上に鈍化しており,世界人口2050年には100億人を超えるという予測は過去のものとなり,現在では中位推計で93億人、低位推計では79億人に下方修正されている。 

3.高齢社会への移行

■人口構造の高齢化

 合計特殊出生率の急速な低下と平均寿命の増加のため人口構造は急速に高齢化した。平均寿命は2001年で男性78歳、女性85歳に達しており、今後も増加が見込まれる。中位推計によると、65歳以上人口比率は2050年には35.7%に高まると推計されている。

■高齢社会のプラス面とマイナス面

 高齢社会は一般的にはプラス面よりもマイナス面の方が圧倒的に大きいと考えられており、高齢社会に対する不安感と悲観論が高まっている。その根拠として挙げられるのは次のような点である
−若壮年者1人当たりの要扶養高齢者が増え,若壮年層の負担が重くなる
−大多数の老人は十分な介護を得られず希望のない生活を送ることになる
 これに対し高齢社会のプラス面として次のような点が挙げられる。
−少子化のために子供1人あたりの養育費は増大し1人あたり教育水準が高まる
−社会資本の不足や混雑現象が解消に向かう
−環境や資源に対する人口圧力が減り持続可能性が高まる
−これらの結果1人あたり所得の上昇率が高まる可能性がある
 高齢社会のプラス面とマイナス面を比較考量することは必ずしも容易ではないが,  不安感を放置したり,煽ったりすることなく,どうすればマイナス面を抑え,プラス面を大きくすることができるかを検討することが必要である.

■高齢者の区分の引き上げ

 現行の年齢区分では65歳以上人口が高齢人口とされているが、平均寿命が急速に増加した現状から考えると、区分の見直しが必要である。65歳以上を「高齢者」とする従来型の発想からすると次のような区分が考えられる。
@「前期高齢者」:65−74歳。現時点ではほぼ昭和一桁生まれ(男女比は46対54)、A「中期高齢者」:75−84歳。同じくほぼ大正生まれ(第二次大戦の影響もあり男女比は38対62)、B「後期高齢者」:85歳以上。同じく1915年以前生まれ(明治の人。男女比は30対70)。
 「前期」に属する人の中には健康水準が良好で就業を継続し、かつ資産の保有額が大きい者が多く、この年齢層を「高齢者」としてしまうことには疑義がある。
 「中期」に属する人は今後増加の一途をたどり、2030年には2倍となる。彼らにどれだけ手厚い対応ができるかが、遠くない将来の課題となる。
 「後期」に属する人の中では女性の比率が圧倒的に高い。配偶者による介護の可能性が低く、医療、介護の需要(物的保障)が発生する確率が高い。その一方で、代価の負担能力は高齢化の進行とともに低下する。この点への社会的準備が必要である。
 上記のような年齢層別特質から、「高齢者」を70歳以上とし、将来的には75歳以上に引き上げることが妥当である。またこれに見合って「後期高齢者」を80歳以上とし、 将来的には85歳以上に引き上げることが妥当である。

■高齢化社会への対応−個人、社会、政府の役割

 高齢化社会の問題には個人、社会、政府をあげたトータルな対応が必要である。

 ◆個人
 まず個人が自己責任において自らの健康を管理し、身体的・知的能力を維持向上させることが求められる。個人の不十分な健康管理に起因する疾病や能力低下は社会的なコストを発生させるという認識にたった不断の努力が必要である。高齢者は自らの所得を自ら稼ぎだすための自助努力を行なうことが基本的に求められる。

 ◆社会
 社会的には自助努力を奨励するインセンティブが与えられることと、個人の努力をより効率的にするための社会的健康投資を飛躍的に増大させることが必要である。社会的健康投資には高齢者の健康維持及び治療に関する基礎的、応用的研究開発が重要であり、そのため各種施設に対する投資や人的投資が必要である。
 さらに知的能力を維持・向上するための生涯教育投資の抜本的充実が必要である。技術進歩が著しく、知識の陳腐化が早い現代において、技術と知識を常にアップデイトすることの緊要性はきわめて高い。例えばサラリーマンへのサバティカル制度の導入が考えられる。また長寿化に伴う人生二段階説を実現するため、定年が近づいたある段階でこれを集中的に行なうことのメリットも十分検討に値する。
 教育投資がもたらす社会的利益が大きいことはすでに確認されている。また研究開発投資の社会的利益率が大きいことも確認されている。健康投資の持つ社会的利益も部分的に確認されているが、高齢社会における社会的利益はきわめて高いことが予想される。
 さらにこれらのもたらす成果は社会全体を裨益する公共財的性格が強いことから政府による支援がとくに必要とされろことも明らかである。

 ◆政府
 上記の社会の役割の一部は市場メカニズムを基礎とした民間ベースで行なうことが可能であるが、基礎研究などの基本的な部分は政府の果たす役割が大きい。セーフティーネットの整備も政府の責任に属する。個人的、社会的努力にもかかわらず高齢者は種々の疾病にかかったり能力低下にみまわれる確率が高い。またこのようなリスクに見舞われる個人とそうでない個人との間の個人差が大きい。そのため社会的なセーフティー・ネットが整備されていなければならない。ただし、セーフティーネットの整備はモラルハザードによる効率上のロス(例えば医療保険が整備すると健康に対する自己管理がおろそかになるなど)をともなうことから、セーフティー・ネットとしての社会的なサービスの水準をどこに設定するかについては慎重な検討が必要である。
 これらの投資及びサービスの供給において、社会的なサービスの水準はミニマムにとどめ、自己努力と市場メカニズムを重視すべきであるという観点を重視し、従来型の国家依存型の発想から脱却することが必要である。ただし、同時に、高齢期における社会的なサービスの分配の公平性という観点も忘れてはならない。機会の平等がどこまで確保されるか、また市場メカニズムがどこまで完全でありうるか、によって結論は左右されるだろう。

■移民受け入れか現地雇用の創出か

 人口減少に対処する方策としては、労働力の活用が量質ともに十分でない女性や高齢者の活用、教育の充実による人的資本の質の向上、広範な分野へのロボットの活用などを長期的観点から計画的に進めることが望ましい。
 人口減少を移民受け入れによる社会増でオフセットするという考え方もある。バブルの時期に大量の外国人労働者の流入が進んだが、社会的統合や社会保障とくに本人及び家族に対する年金支払いのコストなどの問題がある。しかし、優秀な人材が国境を越えて移動することは当然であり、技術者、研究者の受け入れについては引き続き活発化させる必要がある。さらに、医者、看護士、高度な介護技能者等の受け入れを今後活発化させる必要があろう。他方、外国への企業移転が拡大することが予想され、にともなうが進むことが予想され、現地の優秀な人材の管理業務への登用を含め、現地雇用の拡大が進むことが期待される。

4.社会保障

■年金制度の起源と沿革

 年金制度は1889年にビスマルクによってドイツで始まり、仏(1895年)、英(1908年)もその例にならったが、当時(1900年時点)における平均寿命(出生時における期待余命)はこれら各国でいずれも47歳程度で、 退職者の平均余命も短かかったと考えられる。

■年金の必要性と私的年金の役割

 年金の必要性は基本的には退職後の生活の不確実性への対応に求められる。 高齢者が直面する不確実性は寿命と、いつまで身体的・知能的な労働能力を維持できるかるかである。各個人は、能力維持のために努力したり将来のために予備的な貯蓄をして資本市場で運用したりするがこれには限界がある(近視眼性及び資本市場の不完全性)。また将来の能力低下には個人差が大きく、偶発的な要因に左右される部分が大きいので個人で対応するにはコストがかかりすぎる。そこでリスクをプールし、個人の負担を軽減する仕組みとして考案されたのが年金制度である。年金制度には私的な年金制度と公的な年金制度が考えられる。 

■情報の非対称性と私的年金の限界

 しかしながら、情報の非対称性のために私的年金には限界がある。
(逆選択)
 年金制度を販売する保険会社は長生きしそうな人からは高い保険料を、早死にしそうな人からは安い保険料をとりたい。しかし情報の非対称性のために保険会社は早死にしそうな人と長生きしそうな人とを見分けられない。したがって保険会社は標準的な料率を設定することになる。長生きしそうな人は年金制度加入の意志が強いが、早死にしそうな人は年金制度にそれほど魅力を感じない。したがって年金契約者には長生きしそうな人の比率が高まる傾向が生じる。したがって年金制度による利益はそれほど高くない。利益を上げようとして料率を高めると長生きしそうな人の比率がさらに高まってしまう。この過程が続くと年金事業そのものが成り立たなくなる。
(モラル・ハザード)
 年金加入者は自らの労働能力の維持に対するインセンティブが薄れ、早期退職を好むようになり年金支給期間が長期化する傾向が生じる。
 以上二つの情報の非対称性のため私的な年金事業はあまり収益性が見込めず、全く成り立たないわけではないが限定的な役割しか果たせない。 

■公的年金の役割

 以上の理由から年金事業には何らかの公的介入が必要である。その形態として二つが考えられる。
@公的年金制度
 この場合は政府が、強制加入の年金事業を営む。その根拠は、高齢者の最低生活の確保、世代間の所得分配の公平性、インフレへの対応など民間年金では対応できない社会的目的を果たすことが期待されるからである。このほか積立方式の場合、制度の成熟までの間政府が投資的目的のために使える追加的な資金を入手できるという理由(資本蓄積によるパイ拡大効果)があったとも考えられるが、官僚の天下り先の確保などの目的で誤用されるなどの弊害がある。
A強制加入民間年金
 この場合は法律等により年金への加入は義務化されるが資金の管理・運用は民間に委ねられる。強制加入により近視眼性の問題と逆選択の問題は解決される。
 このほかに高額所得者向けの任意加入の民間年金がありうる。ちなみに、世銀(1994)は上記二つ(公的年金、強制加入民間年金)に任意加入の民間年金を加えた「三つの柱方式」を提唱している。
 日本の年金は公的年金(国民年金、厚生年金、共済年金)と任意年金(厚生年金基金等)から成り立っている。

■積立方式(FF)vs賦課方式(PAYG)

 公的年金には積立方式と賦課方式の二つがある。両者の混合は修正積立方式又は修正賦課方式と呼ばれる。積立方式の収入は金利に依存し、賦課方式の収入は賃金上昇率に依存する(Aaronの条件)。高齢化は労働者不足をもたらすので賃金が上昇する側面と、労働者不足に対応するための物的投資が行われ金利を上昇させる側面とがあるため高齢化がどちらに有利に働くかはにわかには判定できない。(ちなみに今回の改革では金利は2.5%として計算。賃金上昇率は★?)。
 両方式の選択は白紙に絵を描く場合には検討が必要だが、いったん出来上がると経路依存性が働くので選択の余地は少ない(二重負担の問題)

 日本の場合、当初積立方式(本人が拠出したものが本人に将来還元される方式)で出発したが、1970年以降国民年金に税金が投入されるに伴い賦課方式(現在の拠出を現在の高齢者が使い果たす方式)に移行したとされるが、積立金も残されかつ積み増されてきたているので修正積み立て方式と呼ばれている。

 このような経緯の中で次のような問題点が残されている: 
 @積立金の一部が無駄な目的のために使用された。年金福祉事業団の余暇施設等に莫大な投資が行われ現在二束三文で売却されている(総額8兆円?★)。
  A賦課方式への移行が事実上なし崩し的に行われたことについての説明が十分行われなかった。そのため、社会保険料(年金部分)が個人のための積立金であるという理解が国民の意識の中に残っているために不公平感が強まっている。
  B積立金の取り崩しの方針がはっきりしてない。この点について、官僚による誤用を避けるために取り崩すべきだという意見がある一方で、団塊世代の受給による拠出金の
一時的な引き上げを避けるために積立金を使う(スムージング)という両方の考え方がある。★

■代替率の問題

 高齢従属人口比率が上がれば税率を上げるか代替率(賃金いたいする給付比率)を下げるか、又はその両方の組合せか、が選択されることになる(代替率(給付額/賃金)=税率/高齢従属人口比率(高齢者/人口))。
 経緯的には年金制度設立時にILOの基準では6割の保障を唱えられていたことに由来する。そのため、制度の設立当初はこれにならって6割を設定していた。今回の改革案で税率が38.5%、代替率が50.2%(?)とされているが、代替率の50%は世帯ベースの数字であり、さらに経年的には50%をはるかに割り込むことが明らかになっている。またこれらの根拠、代替率が高齢者の労働参加率にどのような影響を与えるか、という点につては一切説明されていないので、どの程度検討されたか疑問である。基礎資料としての国際比較データについても不正確であるという指摘がある。

■世代間公平とは何か

  公平とは何か?払ったものと、もらったものが同じである必要はないのでは?
  人口バランスが崩れている限り同じであるのは無理
  年金制度を個人間又は世代間の公平・不公平という観点でとらえるのではなく、負担のインセンティブが働くか否かという観点でとらえるべきだ
  社会的公正という観点でとらえてはどうか

■世代間公平と年代別負担

 上述の理由により現行方式が積立方式であるかのような誤解を与えているるので、この誤解を一掃することが何よりも重要である。その際、いわゆる賦課方式への移行を巡る不透明な経緯についても説明責任を果たす必要がある。これによって、 賦課方式の年金が自己に対する保険ではなく、世代間の分配という社会的必要を満たす制度であることを明確にし一種の世代間契約としての年金の役割についての国民的な合意を取り付ける必要がある。
 世代間の分配を問題にするとなると、問題は年金だけではとどまらない。もろもろの公共的支出とその財源の世代的インパクトは異なるはずである。社会資本の世代間負担等を含めた包括的な世代別負担構造を検討するべきではないか(高齢者が若年齢層世代の富を搾取しているとは限らない。反対に、失業保険をもらって遊んでいる若者や、高額な税負担をしている高齢者もいる)。
 また公表された世代間負担表には2005年に70歳の国民は給付額が保険料の8倍と記載され、負担が軽かったかのように表現されているが、掛け金、インフレ率などの調整をすると、実際には当時の所得水準ではかなりの負担があったはずである。当時の掛け金は実質負担として大きかったことも考慮すべきである。また、この種の計算には過去の拠出と将来の支払いについてそれぞれ同一の割引率が適用されるのが普通であるが、この方式だと高齢者の過去の拠出が過小評価され、若年者の将来の受け取りが過小評価され、世代間負担の差が強調されすぎるきらいがあることを指摘しておきたい。

★この種の表を各個人に示すべきか(?)
 また上記の表に、若者でも保険料の2倍の給付が見込める、と表記しない限り若者が保険料を掛けるインセンティブが働かないだろう。

■定年延長か定年引下げか

 年金支給開始年齢が高まるにつれ、定年年齢とのギャップが問題になる。この点についてはいくつかのアプローチがある。 第一は、定年延長である。これは年金の支給開始年齢と企業の定年年齢を一致させるのが望ましいという考え方である。この考え方にたつと、まずは定年年齢を現在の年金支給開始年齢の65歳に合わせ、年金の支給年齢が将来的にさらに引き上げられるのにしたがって定年も引き上げられることになる。年金支給年齢が将来的には70歳に引き上げられるとすれば、定年年齢も70歳まで延長される。この場合、年齢別賃金のプロファイルがフラット化し、定年に近づくにつれ減少するパターンに変化して行くことが必要である。高齢者の雇用の維持は主として子会社、関連会社に依存することになろう。
 第二は、定年年齢を延長する代りに高齢者の外部労働市場を拡充するというアプローチである。この場合高齢者を対象とした効率的な職業紹介事業を整備することが必要となるのはもちろんであるが、高齢者に適した職業・職種の開発と高齢者個人の能力の維持向上が重要な課題となる。また高齢者に対する雇用上の差別撤廃と何らかのアファーマティブ・アクションの導入も必要になろう。 
 第一のアプローチと第二のアプローチを比べると、個人レベルでは、第一のアプローチのほうが雇用の継続性、確実性、安定性が高いが、第一の人生の延長線上にとどまることになり発展性に欠ける。第二のアプローチは不確実性と不安定性が高いが、新しい分野に挑戦して社会的な貢献を行なう可能性がある。社会的に見ると、第一のアプローチは現状維持的であり、生産性の低下につながる恐れがある。これに対し、第二のアプローチは高齢社会に前向きに対応するできる利点がある。 
 第三のアプローチとして、むしろ第一の人生の定年年齢を引き下げて、早めに第二の人生に移行するという案が考えられる。このため50歳前後で二回目の高等教育を受ける機会を社会的に提供し、高齢者に適した職業・職種で高い生産性を発揮する機会を積極的に開発してもらう。65−70歳以上の高齢者が受け取る年金は原則として所得の有無に係わらず全額支給する。これは働くことによって年金が減ることが高齢者の勤労意欲にマイナスのインセンティブを与えることを避けるためである。ただし定年延長や天下り(官民を問わず)によって高い所得を維持している人々が年金を支給されることは公平上好ましくない。これに対しては、そのような状態が作り出されないような制度的な仕組みを導入することが求められる。
 第三のアプローチにおいて、年金支給年齢に達した高齢者にとって年金は一種の雇用促進のための補助金として作用し、比較的安い賃金でも働くインセンティブを年金支給年齢に達した高齢者に与えることにより、ヨリ多くの所得の創出を可能にする(費用効果比が1より大きい)社会的支出と理解することができる。このアプローチが実現すれば、さらにいかなる年齢でも自由に転職できる人々も増えてくることが期待できる。
 以上三つのアプローチは、個人の選択に依存することになるが、当面それが可能になるような社会的条件を用意することが必要である。しかし可及的速やかに、第三のアプローチが可能になるような社会的な条件整備に重点を移すことが望ましい。 
 公務員についても第一の人生の終了後天下りの道を歩むのではなく、一定の年齢に達した後、民間で第一の人生を過ごした人と同等の立場で民間に転身して第二の人生を送るか、さらに役人としてのキャリアを重ねるかの選択を行なう。同様に、民間で第一の人生を送った人々は民間でキャリアを重ねるか公職に転身するかの選択を行なう。この点についても、さらに進んでシームレスな移動が可能になることが期待される。

■民営化論・家族の役割

(民営化論)
 1994年の世銀報告は年金の三つの柱として@公的年金,A強制加入・民間運営の年金,B任意の民間年金・貯蓄をあげている。
 日本の年金制度は、国民年金(一階部分)及び厚生年金(二階部分)が公的年金であり、 強制加入でかつ公的に管理・運用されている。厚生年金基金などの三階部分は任意加入で私的な管理と運用が行われている。したがって、世銀報告の「三つの柱」論と異なっているのは厚生年金部分である。また米国の企業年金が世銀の第二の柱に近い。こうしたことから、我が国でも、最近厚生年金部分について民営化論が出されている。 
 民営化論の是非を問う場合の論点はいくつかある。第一は、任意加入か強制加入か、である。この点は、先述の議論(近視眼性、逆選択など)から任意加入にするのは難しい。 第二は、運用を民間に任せるか公的機関が行なうかである。この点については民間に任せる余地は大きいものと考えられる。米国の企業年金では1974年の「従業員引退所得保障法(エリサ法)」の401kプランと「個人引退勘定(individual retirement account:IRA)」による確定拠出型の証券・債券などの金融資産への運用が行なわれている。第三は、政府がどのような関与をするかであるが、企業にインセンティブを与えるため相当規模の減税などの財政措置をとる必要がある。米国の場合も投資所得と拠出金について引退期までの税の繰り延べを認めるという形での実質減税を行っている(ちなみに米国には企業年金の他にold−age,survivors, and disability insurance:OASD というeanings testを伴った低所得者向けの公的年金がある)。 
  したがって、民間年金といっても強制加入で、減税という政府負担が必要であることにかわりはない。また、確定拠出型の民間運用の場合はリスクプーリングは行われないので高いリスクを最終的には個人が負担することになるという難点がある。
  一階部分まで民営化し、必要に応じて生活保護で対応すればよいという意見もあるかもしれないが(あまりないと思うが)、この場合は膨大な生活保護費を政府が負担することになる公算が大きいので現実的でない。一階部分については現在三分の一が国庫負担となっているが、拠出を税に切り換え完全徴収すべきである。 
  三階部分については、すでに401k型への移行と個人年金への移行が始まっている。 
(家族の役割)
  年金制度が始まる以前は、 家族がその役割を果たしてきたのであって、 家族による扶助は年金制度の原型であるといってもよい。 ただ家族の場合は、 個々のケースによって事情が異なり、扶助が受けられないこともあるし、核家族化や女性の社会的役割の拡大、少子化等により、公的・私的な年金制度の重要性は否定できない。ただし、介護等で家族が果たす役割は依然として重要なので、 家族による介護サービスに対する
支援を拡充することが必要である。

■積立金の運用方法

  我が国の年金は積立制度で出発し1970年代に1970年代に他制度に移行したといわれているがその過程がきわめて不透明であったため一般に日本の年金が積立制度であるような誤解が残り(framing error)、 それが年金に対する不満と不信の要因となっている。 その意味では 「拠出金」 という言葉が誤解を与えているので、「年金税」又は雇用保険負担と合わせて「社会保障税」と名称を変更した方がいい。
  現在の積立金は初期の積立金の残りとバッファーとしてのカレントな積立金の二つからなっている。 ベビーブーム世代に対する給付の増加を乗り切るために留保していると説明されているが、それまでの間の資金運用は大きな課題である。その管理がうまく行く見通しがなければ早い時期に使い切ってしまった方いいという意見もある。
  年金積立金は従来資金運用部特別会計に預託され、郵貯、簡保などの資金とともに財政投融資計画にしたがって政府系金融機関、公的企業、地方公共団体、国債購入などにあてられてきたが、2001年の財政投融資改革によって預託義務は廃止された。これに伴い、7年間で全額償還され、新規資金をもとに年金資金運用基金(2001年設立。前身は年金福祉事業団)によって自主運用されることになった。年金福祉事業団は1986年から資金運用部から資金を借り入れ、信託銀行(金銭信託)、投資顧問会社などを通じて債券、株式などを対象に資金運用を行ってきた。2001年度からは年金資金運用基金が運用しているが9割以上が国内債券を対象としている。移行期間が終了した2008年までに国内債券の比率を7割程度に下げる方針が示されている。
 移行期間終了後までに、巨額の資金を年金の利益のために動かす機関のあり方について、運用主体、独立性、監視機構、内外市場での運用方針、市場への影響力等を十分検討することが必要である。途上国の膨大な資金需要に応えるために使うという案もある。リターンは高いにしてもリスクも高いことから問題はあるが十分検討に値する。

■医療・健康

 高齢社会における医療・健康問題はかつてない程の重要課題である。今日、脳血管障害が多くの高齢者を悩ませている。心臓とがんは医療の発達でかなり改善されてきたが、脳血管障害はいまだ解決されていない。頭脳の寿命と体の寿命にギャップが生まれてしまうことによっておきる痴呆症の原因ともなっている。この障害の主要因は飲酒にあるため、飲酒奨励型のカルチャーとライフスタイルを変えない限り、動脈硬化による脳血管障害は改善されない。人生を100年であると仮定すると、今のようなライフスタイルは容認されるのだろうか? たばこや酒を追放すれば医療費の高騰によるGDPの圧迫は避けられる。また動けなくなった高齢者の多い農村には、自動車もなくまた電車もない。こういったところに社会が対応していかなければならない盲点がある。農村部では早期(60歳なるかならないか)に痴呆症になる確率が高い。これは、酒が大きな要因だと思われる。この状態を解決するには、酒によって濃密に結ばれている農村社会から、開かれた新しい農村を作らなければならない。
 高齢者の健康を確保するためには、高齢者自らによる若いころからの健康管理が必須であり、酒やたばこの愛好人口数を社会的に減らすことが必要である。このため飲酒運転の取り締まりや対象者に対する保険料の値上げも必要だし、たばこには喫煙が体を害するという表示があるように酒にも同様の表示を行なうことが必要である。高齢者型疾病に対する医学的な研究への一層の人的、物的投資も必要である。
 とくに団塊の世代が2025年以降に75歳以上になったとき、要介護者が増大し、一層重要な問題となるだろう。なかでも痴呆者の増大は深刻であり、介護保険が痴呆保険に取って代わられるかもしれない。
このような観点から、たんに長寿を目標にするだけでなく、健康でいられる期間を延ばすという意味でQALYs(健康寿命)の議論が盛んになってきた。日本でもこの種の研究が進められることを期待したい。

■社会保障全般の改革論

 年金改革論はこれまで5年の財政再計算の機会に次の5年間の辻褄合わせをやってきた。医療・介護保険との整合性も本格的に議論されたことがない。後期高齢者の比率が増えるにつれ、年金よりも医療・介護保険の重要性が増すことが想定される。早い機会に、あるべき社会保障の全体像を根本に立ち返って検討すべきだ。その際には、近年著しい進歩を遂げつつある社会保障に関する社会工学的技術進歩を十分に取り入れることが望まれる。例えば年金分野における給付と負担に関する概念上の拠出建て制、医療保険における擬似市場メカニズム、社会活動への参加を条件に給付の支給を行うWorkfareの手法などが挙げられる。
 なるべく早い機会に年金一元化に向けて抜本的な検討を行うべきである。
年金のポータブル化という議論が一時は行政側で議論されていたが、今後は社会制度自体が変化し、国民の間からポータブル化議論が頻繁に起こるだろう。
 国民年金は税金で賄い、二階建ての部分は強制加入であるが、中身は401k的なものを取り入れる。また、個人退職勘定をポータブル年金の枠組みとすればよろしいのではないか。
 公平性があり、全国民を守ることが可能であるならば強制できるのだが、そうでないなら基礎年金をすくなくともきっちり保障できればよいのではないか。
  年金・医療・介護のすべてにおいて、補助、労災、企業の負担としてどこまで取り入れるべきか、という議論も必要となるだろう。
  民営化にすると弱者救済的なものではなくなってしまうはず。

5.高齢社会と農業

■先進国における農業

 ◆政府による保護・介入は何故先進国で行われるのか
 世界における農業保護の現状を見ると、先進国ほど農業を保護しており、途上国の多くは逆に農業とくに輸出可能作物に課税している。先進国で農業が保護されている理由としてはいくつかの点が挙げられる。
 一つは、農業人口の流出を抑制するため所得確保が必要なことである。この点に関して農業人口が人口の10%を切るあたりで農業保護がピークに達し、5%以下までで減少すると農業保護が減少するという研究結果がある(Honma and Hayami,1986.ちなみに日本は7%)。
 第二は、国家安全保障上の農業の役割を重視して食料自給率の向上を図っていることである。カロリーベースの食糧自給率は、米国125%、フランス132%、イギリス74%となっており、日本の40%は異例である(平成14年度食料・農業・農村白書)。
 第三は、農業の持つ外部効果性及び公共財的性格の認識である。農業は土壌の流失を防ぐなど生態系の維持に一定の役割を果たしており、また農村の景観やリクリエーション機能が重視されている。
 第四は、政治経済学的要因である。直接民主主義の場合、数の上で農業保護派は敗北を免れないが、議会制民主主義の場合、少数集団の方が結束力が強く議会に対するロビイングなどを通じて大きな影響力を持つからである(Olson,The Logic of Collective Action,1965)。

 ◆保護の手段
 先進国における農業保護の手段として広く採用さえているのはデカプリング政策といわれる価格補償(不足払い)制度である。もう一つの方法は関税であるが、関税は消費者のウエルフェアー・ロスが大きく経済効率において劣る。にもかかわらず関税が多用される理由はいくつかある。第一は視認性(Visibility)が低い(関税が消費者の負担で支払われるという認識が薄い)ことである。第二は関税収入が発生することである。したがってこの点については農業当局より財政当局の論理が働いている可能性が強い。第三は毎年予算審議によって支出を議決するよりも法律改正(関税法、関税定率法)の方が容易だからである。

■日本の農業

 ◆戦後農業政策の展開
 戦後の農業改革の主要な目的は自作農の創設にあった。農地改革(第2次農地改革,1946年)により,地主の土地所有は3ヘクタール以下に制限され、1946年当時三分の一にすぎなかった自作農は1950年にはほぼ三分の二に増加した(対全農家数対比)。1952年には自作農の維持安定のために農地法が制定された。以下年代別に見ると
1960年代には農業基本法が施行され(61年), いわゆる基本法農政の展開が行われた。 「生産性の高い自立経営農家の育成」 (農業基本法)がキーワードだった。
 1970年代はいわゆる総合農政の展開が行われた。「規模が大きく生産性の高い近代的農業の育成」 (閣議決定「総合農政について」)がキーワードになった。コメの生産調整対策開始された。
 1980年代はウルグアイ・ラウンド(1986-93年)への対応に追われた。米国は
 コメのミニマム・アクセスを迫り、1999年4月から関税化へ移行した。
 1990年代には、WTO体制が発足(1995年1月)する中、1942から続いた食管法の廃止と新食糧法制定(95年施行)、新基本法(食料・農業・農村基本法)制定(1999年)など戦後体制の改革が進んだ。「効率的かつ安定的な農業経営...が農業生産の相当部分を担う農業構造を確立する」ことが謳われた。食糧自給率(カロリーベース)を1998年の40%から45%%に引き上げるという目標が設定された(基本計画)。

 ◆大規模・高生産性農家創出政策と農業の現実
 上記のような基本政策の下、農水省や関係団体は一貫して青壮年者を中心とした専業農家を中心とする営農を考えてきた。 大農地国の農業に眼を奪われ、 現実の日本の農業の実態をひたすら変えようとしてきた。 しかし日本ではそのような農業の発達には今まで成功していない。 農産物の世界市場価格は大農地国の単価に合わせられており、 日本の自然条件の下で国際競争力のある農業を育成することは土台無理である。非現実的な目標に固執することにより、自作農の維持に偏した農地政策による農地と農業経営の固定化と関税依存型の対外農業政策によるウエルフェアーロスが発生している。
 現実には、農家の高齢化が進み65歳以上の就農者数が増加している。 今では、第一種はもとより、第二種の兼業も少なくなった。 その代わりがウイークエンド農業、 即ち老父母がウイークデイを担当して軽作業を行い、 息子は会社が休みの土・日曜日に短時間農業をするというやり方が主流になった。 現実の日本の農業は、すでに高齢者によって荷われた小規模農家による低生産性農業である。GDPに占める農業の比率はわずか1.6%にすぎないが、労働人口の7%を農家が占め、8兆円の農業生産に対して5兆円の農林予算を注ぎ込むことによって辛うじて維持しているのが日本農業の現実の姿である。すでに水田の一部は荒地と化し、このままでは土地の生産力と環境の不可逆的な悪化が危ぶまれる状態になっている。

 ◆『年金付農業』の進展
 さらに最近顕著になったのは国民年金と厚生年金を受給する農業従事者の増加である。最近まで農業を営んできた世代は高齢になって国民年金を受給している。 それに加えて、これまで都会で働いていた農家出身者が退職年齢を迎えて農業に帰ってくる。これら退職者は厚生年金をもらいながら農業に従事する。 厚生年金を基礎に、それに加えて年間約50万円の農業所得が入ってくる、 といった形が多く見られる。ちなみに国民年金、厚生年金の他に農業従事者のための農業者年金があり、65歳から支給される。2000年より積み立て方式に変更され、 加入者は現在7万人、目標として20万人の加入が見込まれている。

■農業政策の転換

 ◆小規模農業政策への転換
 農水省は、五反百姓の農業から脱却して先進国型の農業に日本の農業を育て上げたいという願いを掲げて営々と努力を重ねてきたが、現実とのギャップはますます広がるばかりである。田舎の環境は悪化し、地方経済が危機に瀕している。この際発想を転換し、 ありのままの小規模な農業を是認してはどうだろうか? そして、これ以上の農業と農村の荒廃を避け、少なくとも現在残っている青々とした田畑を維持できる程度の現実的な農業政策を展開してはどうだろうか?

 ◆高齢者による農業の推進
定年後の第二の人生において、60-85歳をどうやって過ごすのかが国民的な問題となっている。このことと農業を関連させることによって、高齢化問題と農業問題の両者に共通する解決策を探る事ができる。 現在農地として活用されている土地は主として現在の農家とその後継者が管理することとしよう。もちろん個人や株式会社などによる農業の機会は広く開かれてよい。農地の約半分を占める休耕地を生かして、都会のサラリ−マンまたは退職者のなかでアウトドアライフを好む人たちに農業に従事してもらう。たとえ小規模農業であっても、 農村においては高齢者は自給自足で生活することが可能である。 機械の発達によって高齢者による農業は実現可能になった。 高齢者が体力的に無理のない農業を行う。 このことが高齢者の健康管理にも役立つ。いわばフィットネス農業ともいえる。自家用の米は自分で作り、そして知り合いに米を配る、近親者経済が出来上るだろう。 日本の環境を高齢者が農林業に従事することによって守り、 次世代に美しい環境を残すことが可能となる。また農村が維持され、都会からやってくる人々に対するサービス機能の充実も期待され、都会との交流を通じて農村社会の活性化にもつながることも期待される。
こうした政策を推進する上で年金が一役買うことができる。現農家については先に述べたが、今後新たに都市から厚生年金の受給資格を持った高齢者が田舎で農業に従事する際に、年金を主な収入源として、付加的な所得を農業から得ることができる。いわば年金をボランティア活動に対する『補助金』と考えればよい。
 小規模低生産農業の維持を維持しておけば、危機発生時に生産を増大させる能力を潜在的に維持することになり、国家安全保障上食料の「在庫」をもつのと同等の機能を果たすことになる。
 このような構想に近い動きはすでに始まっており、雑誌やインターネット上で田舎生活に対する都会人の関心は大いに高まっている。また市町村の中にはこうした動きを歓迎し積極的な誘致を行っている事例も数多くみられるようになっている。こうした草の根的な動きを大きな枠組みの中でさらに推進することが期待される。

 ◆農業の新しいあり方
 現在WTOドーハ・ラウンドにおける農業交渉が大詰めを迎えている。日本はコメの輸入制限の関税化をウルグアイ・ラウンドにおいてすでに認めており、関税率の引き下げと自由化の実施は不可避である。その場合、日本の農業は国際市場において全面的に競争力を発揮することは難しく、農業に関する国内的な制限措置の撤廃(株式会社や個人の参入の自由化)が行われれば部分的に活性化される可能性はあるが、その範囲は限定的である。
そうした中で農業は上述のような新しい機能を担うことになる。それは、@環境維持、A潜在的自給率の維持、B地域経済の維持、Cサービス業の展開、そしてD高齢者の
 吸収と活用である。これらは産業としての農業を超えた国民的な課題であるため、従来の縦割り行政の枠組みを超えた予算編成が必要である。

6.高齢社会における高齢者の社会的貢献


高齢社会において高齢者は自立できるような仕事を確保するとともに、高齢者による社会的貢献が期待できるの場は農業は以外にもある。

■教育

 その一つは教育である。教育には、投資型の教育と消費型の教育があるといわれており、定年を迎えた者に対する教育は一般的には自己研鑽のためであり、 受けた教育を後に社会に還元するような投資型の教育とは異なるとみられている。 したがって経済学では消費型の教育とみなされてしまう。 これに対し長寿社会では高齢者への教育は投資型教育たりうる。 大学を出てから一度も教科書を読み直さない社会人が多いうえ、 50歳以上になってからでは大学時代の理論はもはや時代遅れになってしまっている。 教育は人的資本の減価償却と考えれ、現在のように技術革新の速度と知識の陳腐化が早く、高齢化が進む時代にはその社会的必要がきわめて高い。
 高齢者に対する教育にはいろいろな意味で好ましい外部性がある。 高齢者は新しい技術社会に不安を感じている。 新たな技術革新などに無知であるからこその不安であると解釈できる。 もし知的好奇心をもち続け、 新しい技術に対して抵抗を感じなければ、 高齢者自身が生産活動に参加することが可能であり、 社会的生産性を上げるることができる。
 社会的なコストを広げない意味での教育投資という考え方もある。 つまり、老害を減らすという意味である。 高齢者の教育によって、社会に対する依存度を減らす効果が期待できる。 痴呆症欠陥の患者も、 早期に気づけば治せるという知識が社会的に共有されれば、 痴呆症患者の数を減少させ、 医療費や介護負担を削減することができる。
逆に高齢者が教育に貢献できる分野も大きい。 通常の世代会計の概念とは逆の側面、 すなわち農業における環境保護や高年層から若年層への技術移転などを積極的に展開することが可能である。 小中学校の教員にも高齢者を登用する道を拡大すべきである。

■観光・文化産業

 高齢者は、農業、教育の他にも高齢者に適した仕事がたくさんある。美しく維持された農村地帯と都市部との交流が進みなかで、歴史的、文化的資源や伝統技術等の地域資源を活かした地域産業が盛んになることが期待される。そのなかで、郷土の歴史と文化の研究に従事したり、またそれらを熟知した高齢者の観光業における活躍が期待される。精密な伝統的手工業、例えば織物や陶芸などは高齢者が十分に従事しうる産業である。高齢者はまた、地元の旅館や観光・文化施設における対人サービスにも適性を発揮できる。
 今後は、農村地域産業における古くて新しい文化産業のいろいろな分野で高齢者が貢献することが期待される。

7.銀色の独立国構想


 以上の認識に立ってこれから始まる新しい社会のイメージを具体的に描いてみると次のようになる。

■人生2ラウンド

 従来高齢時代は青壮年時代の延長線上にかいまみえる人生の余った時間として、受動的に過ごされる時期と受け取られてきた。しかしいまや長寿社会の到来により、高齢期を人生の第二ラウンドとして、第一ラウンドに勝るとも劣らない、むしろより充実した時期として位置づけうる条件が熟してきた。いわば人生は一度しかないものではなく人生を二度生きる可能性が開けてきた。
 第一ラウンドは探索の時期であり、第二ラウンドは選択された時期である。人生の第二ラウンドは第一ラウンドと関係が深いものであっても良いし、全く関係のないものであってもよい。人生が単線運転に終始する単線社会ではなく、途中で路線を変更して別の路線に乗り換えることができる複線社会になる。第一ラウンドから第二ラウンドに移行する時期は個人によって異なってよいが、第二ラウンドに十分な時間を確保するためには大まかな目安として50−60歳の間と想定される。

■第二の義務教育

 第一ラウンドから第二ラウンドへの移行にあたっては相当の準備が必要になる。これは少青年期に義務教育が課されるのと同様に第二の義務教育とする。若いころもっと勉強すればよかったと思っている人は数多いだろう。それが実現できる。とりたかった資格をとることもできる。この過程を経ることにより人生の第二ラウンドに立ち向かう知識と技能を再習得し、自ら所得を稼ぎだす力をつける。もちろん世代間の交流はさかんに行われるが、高齢者は出来る限り青壮年層に経済的に依存して迷惑をかけることがないようにする。むしろ高齢者が自らの得意とする分野で積極的社会に貢献することが出来るような能力を身につける。

■高齢者による農業、教育、サービスへ寄与

 社会には高齢者、経験者が特に適性をもつ職種が非常にある。これからは労働力を高齢者に求める企業も出現しよう。そのような仕事としてとくに適しているのが農業であり、教育などのサービス産業である。発展途上国への技術協力も高齢者に期待される仕事である。移行期に必要とされる第二の義務教育の指導には第一ラウンドで得た経験の持ち主があたるのがが効果的である。

■高齢者に対する差別の撤廃

 高齢者に対する差別と偏見は強い。高齢者は低能力者の代名詞ではなく、対等な社会的パートナーとみなされる。年齢による差別は米国では法律により禁じられている。日本でも年齢による差別を禁止する法律の制定がいずれ行われることになるだろう。

鹿島平和研究所理事
中央大学 総合政策学部教授
元経済企画庁事務次官
田中努

KAJIMA INSTITUTE of INTERNATIONAL PEACE