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「中国後の世界」と日本

鹿島平和研究所理事
福山大学客員教授
日本ノルウェー協会会長
元駐ノルウェー大使
妹 尾 正 毅

「中国後の世界」と云う表題は私が付けたものではない。7月7日付けニューズウイーク誌(日本語版)の表紙に大きく書かれた題名である。本文を開くと「中国の大成長時代はもう終わる」として中国国内の社会的問題や成長率低下の国際的影響等が述べられている。  

 ゴールドマン・サックスがBRICSの将来性を取り上げたのが2003年、ロバートW.フォーゲルが2040年の中国のGDP(購買力平価表示)は世界全体の40%を占め、米、印、EU15国及び日本の合計額33%を凌駕するとの推計を発表したのは今から3年前のことであった。  
 これに対し、2050年迄の世界を展望すると、中国の成長率は少子高齢化の影響で大きく鈍化し、GDPも一旦は米国を追い抜くものの、人口が3億人から4億人に増大する米国に抜き返され、一人当たり所得も日本の1/2に止まる、とする小峰隆夫・日本経済センター編の「超長期予測老いるアジア」が出版されたのはその4カ月後のことであった。  
 日本ではこのところ中国の成長は早晩鈍化すると予想する向きが増えているようだが、米国発のそういう指摘はあまりみかけず、それだけに今回の米国誌の記事が目立った。
 予測の正確さという点では人口の変動予測は識者の経済見通し等よりも遥かに良く当たるし、その示唆するところも重視に値する。その意味で我々はもっと人口の変動と云う問題に目を向けるべきであろう。併せて、この機会に幾つかの気付きの点を述べておきたい。

 第一に、日中GDPを比較して一喜一憂したり、米中2G時代の到来を危惧したりするのはそろそろ止めてはどうか。自由主義市場経済の枠組みに支えられ、モノ、カネ、ヒトとグローバル化が進行する世界では、人口が中国の十分の一という日本のGDPが何時までも中国のそれを上回り続ける筈がない。むしろ当然の成り行きとして受け止めるべきではないか。但し、中国にすれば国内は問題山積、現時点で新たな世界秩序構築の主役を買って出て、「米中G2時代の到来に乾杯!」等と云って喜ぶ心境にはなれないのではないか。
 他方そこで日本が心すべきことは日中間の協力がそれだけ重要性を増すと言うことである。経済関係に限っても中国の成長が止まる訳ではないし中国を軽視するのは間違いである。日本にとり米中何れがより大事か等と問う抽象的、観念論的な議論も感心しない。大事なのは如何にして日米中の間のwin-win的な協力関係を幅広く実現するかだからである。
 日本の国際的地位の後退が気にならないかと問われるなら、中国のGDPが日本のそれを抜くこと自体がそれほど気になるかと尋ねたい。勿論GDPの順位が維持出来ればそれに越したことはない。だが、失われた20年の日本経済の後退は日本自体が招いたものではないか。私が指摘したいのは、幸いにして国家の国際的地位や影響力は本来そのような数字により自動的に決まるものではない、と云うことである。英国の一人当たりGDPは今やアイルランド以下だがそのため英国の国際的地位が低下したと云う話は聞かない。日本は何時からGDP以外に誇るもののない国になったのか。藤原正彦氏の「国家の品格」を持ち出すまでもなく、国際社会において日本が誇れるもの、推進をリードすべきことは幾らでもある。重要なことは、実際にどの程度まで、そういう国際社会への貢献を果たすかであろう。
 
 第二に、2008年以来の通貨危機や経済不安への反省の結果として市場重視の金融政策等 で見直される点はあるにせよ、ソ連の崩壊以来一貫して拡大深化し、顕著となって来たグローバル化の流れそのものは、これで後退、停止することはなく、引き続き進んで行くだろうということである。中国に続いてインド、更に「ネクスト・イレブン」的新興国が新たな関心の対象となる。それらは既に始まっており、更に今世紀半ばに向けては力を増す回教圏諸国の位置付けとそれへの対応と云う問題の答えが出て来るのではあるまいか
(注)イラン、インドネシア、エジプト、韓国、トルコ、ナイジェリア、バングラデッシュ、パキスタン、フイリピン、ベトナム、メキシコの11カ国。

 昨年の総選挙で政権の座に着いた鳩山前総理はグローバリズムを批判し内需振興を訴えた。確かに世界経済をよりバランスのとれた形に是正することは望ましく、そのため内需の振興に力を入れることも重要であるが、国の将来に対する不安の大きい日本の場合そういう施策の効果には限度があろう。グローバル化の流れに沿い国際経済交流の推進拡大に力を入れることの必要性は、むしろこれまで以上に増大していると考えるべきではないか。

 他方、グローバル化の進行は全体として諸国間の格差の縮小を齎すことになる。モノ、カネ、ヒトのうちのヒトの移動、就労と云う観点から見ると、格差が縮小するだけ、外国人労働者は人余り時代から人不足時代に転じることになるのではないか。先進諸国中で最も消極的な日本の外国人受け入れ政策は日本企業の海外への転出を促進するだけで国益に沿うものとは思えない。介護関係者への対応一つをとっても、無為にして手をこまねいている間に需給関係は逆転している可能性がありうることを認識しておく必要があろう。

 第三に経済的観点以上に東アジアの平和と安全保障の視点から東アジア共同体の実現を推進すべきであり、ASEAN+日中韓を超えた米国の実質的参加の確保に心すべきであろう。
現在東アジアの抱える最大の課題は如何にして平和を定着させるかであるが、北朝鮮の特異な体質や中国と北朝鮮の関係等からみて、軍事政治面の施策に総てを託して良いか疑問なしとしない。この際、欧州、EUの先例を参考としつつ、東アジアを対立の地域から協力の地域に転換させて行く東アジア共同体の設立を目指す国際努力の推進を勧奨したい。
 その際に特に考慮を要する目的、参加国等については次の通りと考える。  
 先ず、目的は経済面を第一とし、モノ、カネ、ヒトの総ての移動につき垣根を下げて自由な交流を図ることに置くべきであろうが、当面は特にFTA協定の締結を中心とするモノの移動に主眼を置き、各国の実情に即して将来はカネ即ち通貨の分野、そして更には人の分野にも広げて行くのが現実的であろう(人の自由な移動はASEAN内部でも高度の専門家に限定されており、EUのような域内移動、就労の完全自由化は当面想定出来ない)。

 EUの場合は協力は治安維持から外交等にもわたり、昨年暮れには大統領制、外務大臣ポストの設立等に及んでいるが、EUは比較的同質的な国々から成るのに比しアジアは国の大きさ、文化(人種、宗教、言語等)、政治体制等において異質な国々から成る。参加国間の合意が成立する分野から漸進的に協力体制を固め広げて行くのが現実的であろう。
 また、参加国の範囲は日中韓三か国とASEAN10カ国を中核とし、これにインド、オーストラリア、ニュージランド等を加えたものが原型となろう。最大の問題は米国の扱いであるが、米国は参加を希望すべく、少なくとも実質的な参加を確保すべきであろう。
 この場合カナダや中南米の太平洋沿岸諸国はどうか、バングラデッシュ、パキスタン、スリランカは如何といった議論もあり得ようが、先ずは発足を確保することが第一である。

 第四に国際的に通用する若い世代の育成に努めることである。観光立国の推進は大賛成だが上述して来た通り内向きの日本には明るい未来はない。だがそう云っているだけでは物事は変わらない。早い時点から若者に外国や外国の若者との交流への関心を抱かせ、語学を習得させ、国際的に通用する若者を増やして行かねばならない。
 私自身の経験からすれば、大事なのはその契機を与えることである。東京から遠く離れた私の出身校では外国の大使を講演会に招き、丸一日の歓迎行事を企画実施した。大使が歓待に感激するのを目のあたりにした生徒達は万事すっかり別人のように積極的になった。
 方法は他にも色々ある。英国では幼稚園から大学に至る総ての学校に国際交流と海外姉妹校作りを推奨するGATEWAY計画を実施し、国際感覚を養成している。日本も思い切ってそれ位のことを試みてはどうか。フランスは徴兵制を廃止するに当り福祉事業等への参加を義務付ける施策を導入したとの記事を見た記憶がある。日本も高校か大学の課程に3カ月程度の途上国訪問的な海外研修を加え、それに参加すれば優遇されるといった施策を講じてみるのはどうか。対外関係や外国人を見る目が変わって来る筈である。

 第五に日本は自国の安全保障や財政の基本的在り方等をめぐり国も国民も漂流しているように見える。国の存亡を左右する問題を突き付けられても、政界は当面の党利党略に明け暮れ、真の国益とは何かを問い、国を挙げてその実現を図るという動きは見当たらない。
 1980年代に経済開発の推進とそれが齎す環境破壊の間の相克を前に国連のブルントラント委員会は、開発と環境保護を両立させる「持続可能な開発」と云う道程を示した。
 わが国もこの際「持続可能な日本」の処方箋作りに国を挙げて取り組むべきではないのか。GDPが世界第三位になっても日本は滅びないが基本的な問題を大きく間違うと別である。上述の諸点はこうした問題意識の線上にある。民主党政権であると否とを問わず、野党共々、長期的な国益の原点に立ち戻り、日本と世界に明るい未来を確保する「持続可能な」施策を追求するイニシャチーブを取る、そう云う日本を目指して欲しいと思うのは私だけではあるまい。




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