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外国人の受入れに関する提言

鹿島平和研究所理事
福山大学客員教授
元在ペルー大使
元在ノルウェー大使
妹尾正毅

―二十年前の危機意識―

1.資料を整理していたら私が参加した外国人受入れに関する座談会の記事が出てきた。
「人的鎖国体制から脱皮せよ」と銘打った昭和62年の中央公論掲載のこの座談会の出席者は、細見卓(海外経済協力基金総裁)、榊原英資(大蔵省理財局課長)、名井博明(全民労協事務局次長)と私(外務省領事移住部長、職名はいずれも当時)の4人である。
日本の海外進出が進むなか、外国人の受入れには門戸を閉じた侭という訳には行かない、受入れは日本の為にもなる、国際関係の改善にも役立つ、相互理解も深まる、高度の人材は積極的に受入れ、単純労働者もある程度雇用の道を残しておく、しっかりした受入れ体制を整えてきちんと行うことが重要だ等に始まり、突っ込んだ議論をしている。
手前味噌と言われるかも知れないが、最近行ったものと云っても通用しそうである。


2.この座談会は、日本社会が硬直化してポキッと折れる可能性がないかが気になる、心して将来への対応を考えて行く必要がある、との私の言葉で終っている。
ポール・ケネディが「大国の興亡」で21世紀は日本と中国の世紀、と述べたのはその翌年、当時は日本が輝いてみえた時代だが、何故か私は日本の将来を気にしていたらしい。   
それから二十年、国内では少子高齢化が現実の問題と化し、国際的には中国の台頭に代表される地殻変動が進んでいる。それにサブプライムローン問題に端を発する世界経済への不安、日本における様々な問題の露呈、ねじれ国会と将来展望の欠如等が加わり、すっかり様変わりした状況の下、日本の将来を懸念する声があちこちで聞かれるようになった。


3.外国人の受け入れはどうなったか。在日外国人の比率は欧米に比べ依然として低いがその数は増加している。新聞等では少子高齢化対策として外国人受け入れの積極化を求める意見も増えている。在留管理の整備が法制化されつつあるのも重要な前進である。
更に、自由民主党内の一部では本格的な外国人の受け入れを目指し、基本的理念の確立と実効的な枠組み作りを目指す作業が進んでおり、日本も変わったという印象を受ける。
では日本は国全体として本格的な外国人受入れの方向に進んでいると云えるのであろうか。また、受け入れると云っても、高度の専門家や技術者に限らず、単純労働者或いはそれに近い人達も思い切って受入れようとしているのであろうか。また、受入れに際して必要な雇用(失業)、医療、教育等に関するきちんとした制度的措置を講じ、我々の社会の一員として受入れるという心の姿勢は出来ているのであろうか。
世論調査の結果はいわば中間的であり、政府の姿勢には未だ大きな変化は感じられない。  
立法措置等政治の方はどうか。全体として上述のような動きを支持することになりそうか。その辺は必ずしも明白ではない。この際、成り行きに任せるのではなく、議論を促進し、国論を啓発し、体制を整えつつ、必要な施策を講じて行くべきではないか。
そのための参考として、最近私が大学の講座でこの問題を取り上げた結果等も織り込みながら、率直な私見と日本政府等への提言を以下の通り述べさせて頂くこととしたい。


―少子高齢化と外国人の受入れ―

1. 日本の人口は2006年を境に減少に転じ、今世紀半ばには1億人を切ると予想されている。この人口の減少の影響を、また外国人受入れ政策との関係をどう考えるか。
国内の楽観論者は、労働力の減少とそれに伴うGNPの低下は生産性の向上により充分対応可能であり、更に女性・高齢者・若者の経済活動への参入増の余地も大きいので尚更であると主張していた。だが、生産性の向上にも未利用国内労働力の活用にも限度がある。それだけではない。GNPの額は減らなくても人口減に伴う国内需要の減少とその影響は避け難く、更に地域社会の過疎化と崩壊の可能性、年金その他の社会的基盤への影響等にも計り知れないものがあり得る。
私は色々の形でこのことを指摘し、先行きを楽観すべきでない旨述べてきたが、その後の事態の進展を見ると、不幸にも楽観論者よりも私の指摘の方が当っているように見える。


2.少子化対策は、長期的には、一旦下った出生率を引き上げて少子化そのものを阻止、克服するのが王道であり、フランスやノルウェー等はそれに成功している。
だが、それには出産、育児を容易にするような財政的支援と社会的地域的環境の整備、そして望むらくは家族の絆を大事にする風習の再生を図る等の措置、条件が必要となる。 
柔軟性を欠く日本の社会環境慣習の下では、十分な措置や改善策を講じるのは容易なことではない。それに、成功するとしても、その効果が現れるにはかなりの年数を要しよう。


3.従って少子化対策は考え得る総ての適切な手法を組み合わせて実施すべきであり、即効性と持続性の双方をもつ外国人の受入れも、この際、積極的に活用すべきである(注1)。
だが我が国は、日本人では出来ないというのでない限り就労目的の外国人の入国は原則として認めないという政策を堅持し(注2)、その結果国内で働く外国人の数は不正規のもの(注3)も含め全体の1.5%前後に止まっている。欧米の場合は概ね5−15%ぐらいのようであるから、日本で働く外国人の比率は、諸外国に比べ極端に低いことになる。


4.勿論、この際、無条件、無制限に外国人を受け入れるべきだというのではない。
欧米のように受入れ比率が高くなれば、当然なことながら、景気後退等で失業者が増加する場合の外国人労働者への反撥も大きい。だが、その比率が極めて低い日本では、所用の配慮を払いつつ、外国人の受入れにより積極的に対処する余地が充分あり、少子化対策の観点からはその方向で施策を講じて行くことが望まれる、ということである。


(注1) 国連は日本が減少する労働力をカバーするには毎年60万人の労働者を海外から受入れる必要があるとの試算を発表している。
(注2) 例外は一定範囲の朝鮮半島出身者の子孫、日系人等であり、彼等には日本人同様に就労目的による制限はない。また企業研修目的で来日する外国人も、3年間の滞在期間のうち、最初の1年間を除く2年間は所謂技能実習段階として就労可能である。
(注3) 滞在期限切れ、密入国等による不法滞在者等を指す。

―労働力不足はもう始まっている―

1.「外国人の受入れを」と言うと、外国人を雇う前に日本人を雇えと言われる。だが日本の労働力不足問題は既に起っている。その代表例として所謂3K(怖い、汚い、きつい)分野が挙げられるが、それらに限らない。例えば、農業、医療等でも、夫々背景は違うが、人不足が目立ってきている。少子高齢化が進めばもっとそういうことが起こるであろう。
お手伝いさんも日本人は見つかり難い。外国人の家事補助者を雇うことは外国企業の幹部である在日外国人には認められているが、日本人には認められていない。我々も外国人の家事補助者が得られれば少子化・高齢者対策等にも役立つ筈である。何故日本人には認めないのか、また何故日本国民はこういう所謂逆差別に異議を唱えないのか不思議である。 


2.このほか日本には、事実上途上国からの人材の参加を得て、国内生産の国際的競争力が維持されている分野が−戦後日本の代表的な製造業を含め−少なからず存在する。働いているのは、日本国内での就業に全く制約のない日系人や所謂技能実習段階にある企業研修生等である。現場では、彼らは日本人よりも真面目で熱心、として評判は非常に良い。なかには、これらの外国人の参加がなければ国内生産の継続は難しいと述べる向きもある。


3.第二次大戦後の日本は工業製品の生産と輸出を通じて経済大国となった。だが今は、後発工業国の追い上げ等により、上述のように競争力の低下に苦しむ企業が少なくない。 
そういう企業についても、日本人の職場を奪うから外国人の受け入れには反対、というのは−日本政府の立場はこれに近い−自由である。だがその結果は、その企業が生産活動から撤収してしまうか、生産拠点を日本から収益性の高い海外の適地に移す、ということになりうる。そうすれば国内の工場で働いていた人の多くが失業する可能性がある。そして、そういう生産拠点の海外転出は現実に日本の各地で起り、増加している。
また近年目立つてきた学生の理科系離れにともない、日本国内でも人材確保のため外国人技術者への需要が増えている。日本語と日本の企業文化という見えざる「ガラスの壁」の存在する中でいかにして優秀な外国人技術者を確保するかがこれからの課題である。


4.外国人の手を借りたいのはサービス分野でも同様である。その意味では、フイリピン及びインドネシアとの経済連携協定(EPA)に沿い、夫々2年間に1000人の看護師・介護福祉士の受入れが合意されたことの意義は大きい。こういう近隣諸国からの本格的な人的協力がなければ、10年先、20年先には、日本国内では急増した高齢者の介護は出来なくなり、高齢要介護者は人手のある近隣諸国で老後を過すしかない、ということになり得よう。
今回の措置に付き日本政府は、先方の提案を受け入れただけで一般的な政策転換を意味するものではないと説明しているようだが、外国人受入れの新分野を開くものとして評価すべきであろう。また、協議の過程で、日本語の習得、日本人との差別の排除等につき合意を見ているが、これらは、将来受入れ分野を拡大したり単純労働者の受入れに踏み切ったりする場合に先例として踏襲すべき重要な原則を成すというべく、その意義は大きい。


―グローバル化の進展と外国人の受入れ―

外国人の受入れは労働力の確保というだけの問題ではない。大きなグローバル化の流れと日本、日本の鎖国的体質からの脱却、という観点からも極めて重要である。


1.戦後世界の最大の特徴の一つは、モノからカネへ、カネからヒトへ、と進んできたグローバル化の流れである。ヒトについてもEUでは加盟国間の移動は原則として自由である。 国内労働力に占める外国人の比率は、欧米では5−15%、日本では1.5%前後であるから、日本は国際的にも際立って低い。最近まで日本並みだった韓国も外国人の受入れ促進に大きく転換したから、いずれ日本の受け入れの低さが一層目立つて来るであろう。
それで問題がないのなら良いがそうではない。グローバル化の進む世界では上述のように人の扱いもグローバル化されて行く。良い品質の品が大事にされるように、どの国の出身かを問わず優秀な人材を求める風潮が生まれている。それは単に優秀な人材が何処に行くかというだけの問題ではない。それが国際競争力や国力の比較にも反映されて行く。大学の格付けも外国人教師や外国人学生の比率によっても左右され、日本人ばかりで固める日本の大学はそれだけ国際的に低い評価を受けることになる。そういう世界では日本のように異質なものを避け同質的なものを好む社会は国際競争にも勝ち難くなってくる。


2.極東の島国である日本では国民の多くは国際感覚を磨く機会に恵まれない。グローバル化の流れについても比較的に鈍感で、結果としてその流れに乗り遅れ勝ちとなる。
その上、近年は、隣国の急成長が注目を惹き日本への関心が低下するにつれ、世界の大きな流れの方向付けに主導的に貢献することへの国民の関心は薄れ、国際場裏でも農業、その他で日本の特殊事情を訴え、例外扱いの確保に終始しがちとなる現象が目に付く。
少子化の進む日本では、前述の通り、GNPの額は減らなくても人口減に伴う国内需要の減少は避け難い。結局、経済活動の水準を維持するには国際交流の拡充に活路を求めるしかない筈だが、このままでは世界で最も内向きの先進国と化してしまう惧れなしとしない。


3.外国人の受入れは、中国人留学生の多くや一部の日本人学生も指摘していることだが、雇用を通す経済的効果に止まらず、高齢化に伴い沈滞化しがちな国内の雰囲気に新しい刺激と活力を与えると共に、国際文化交流として我々の異文化への理解を深め、国際感覚を磨くのに役立ち、また日本文化の対外紹介や日本の対外関係の改善にも資するであろう。
更に、その外国人の出身国の雇用問題の緩和にも役立ち、その国の所得を増やし、その貧困問題の解決にも貢献し、それを通じて日本と出身国の友好関係を培うことにもなる。   


4.以上から、日本は国内的、対外的のいずれの観点からも、外国人の受入れに積極的に対処すべきだということになる。経団連は具体案を盛り込んだ意見書を発表し、政府も規制改革計画などを発表し、受入れ体制の改革にも取り組んでいる。だが、単純労働者の受入れには慎重に対処する、という累次の閣議了解に象徴される基本姿勢が変ったようには見えない。これをどう考えるべきか。次にその点を検討してみたい。


―生徒が展開した受入れ反対論―

1.今日に至る外国人の受入れに対する国内のためらい、反対の背景にあるのは何か。内閣の世論調査の結果からも推測されるが、私は今年2月の期末試験で学生の意見を問うてみた。
結果は、日本人学生は半数が受入れ賛成、3割が反対、2割が中間派だった。留学生は多くが賛成、一部が条件つき賛成だった。


2.受入れ反対の生徒が最も強調していたのは、日本人の働く場所が減ってしまうということであった。現在の日本では定職に就けない労働者、ニート、フリ−ター、ネットカフェー難民、ワーキングプア等と呼ばれる人達が増えつつある。先ずこういう底辺の日本人を救済し、日本人が安心して暮らせる日本とするのが第一ではないか、ということである。
この他、凶悪犯罪の発生(不正ビザでの入国者がテロ・拉致等の温床となる、麻薬の密売、人身売買、売春行為や女性、子供、老人を狙った犯罪等)や日本の財政や国民の税金への負担増(外国人が不労所得を得る反面、生活保護が必要な日本人が充分な支援を得られなくなるのでは等)を指摘するのが目立った。これをどう受け止めるべきであろうか。


3. 先ず気が付くのは、現在、これらの学生の先輩や友人が実力相当の就職先を見つける
のに困っているということは殆どない、大学当局が一番苦労しているのは就職に熱心でない生徒の扱いであり、反対論を述べた生徒が、自分の就職の問題として、外国人の受入れに脅威を感じるという客観的な状況にあるとは思えないということである。
では何故こういう回答が出て来るのか。取り残されたものへの若者らしい同情か、自らの将来を投影してのことか、新聞に比し外国人受け入れに批判的なテレビ番組への共感か、或いは外国人より日本人を優先すべきとの原則論的理由か。必ずしも一様ではないであろうが、対象学生中の反対論の比率や反対理由は、内閣府の世論調査の結果と似ている。


4.想うに、これらの学生も世論調査に答えた人も、その多くはこの問題について明確な判断や意見を述べるだけの研究や勉強を常日頃から行っている訳ではなく、突然質問を受けて、とっさに思い浮かんだことなどに基づいて意見を述べたのであろう。
何故そう言うか。一つには、以前、同じ大学のゼミでこの問題を突っ込んで検討した際には、結論として上述のような一方的消極論を述べる学生は少なかったからである。
また、いま一つには、今回の学生にしても、試験に先立つ授業の段階でこの問題を取り上げてみた時の各生徒の反応と、その後の試験での答案の論旨とを比べてみると、試験では大幅に反対論が減り、賛成論が増えているからである。


5.私が上述の授業で受入れ賛成論を展開して生徒を洗脳した訳ではない。私は賛否双方の立場から見た主要点を列挙説明するに止め、それ以上に踏み込んで自分の立場を述べることは控えた。だから聞いていた生徒の方が自分で考え、自然に変わったことになる。
彼等は正しかったのか、間違っているのか。日本政府はどう言うだろうか。
以下に、やや踏み込んで、私見を述べてみることとしたい。


―日本人絶対優先論の問題点―

1.外国人を受入れる前に、ニート、フリ−ター、ワーキングプア等と呼ばれる底辺の日本人を救済し、日本人が安心して暮らせる日本とするのが第一という意見をどう考えるか。
グロ−バル化は、前述の通り、着実にモノからカネ、カネからヒトへと広がっている。
  我々は国産品があるかぎり外国品を買ってはならない、という世界には住んでいない。
もしそういう世界に住んでいたなら、日本製品の海外での販売など殆ど出来ず、今日の日本の繁栄もなかったであろう。ほかの国も同様であり、世界はより貧しかったであろう。
ヒトはモノとは違う。モノのような、原則としてその受入れを認めるべきとする国際的なルールは成立していない。底辺の日本人の救済が先決だといえば、それでも通用する。


2. だがそういう考えは事実上維持し難くなっていないか。通信技術の発達に伴い、従来
は国内で日本人が処理していたことでも、外国に住む外国人に依頼して廉価に処理出来るようなことがあれば、その部分だけを外国の人に委託する、といったことが増えている。
日本政府がこれを禁止乃至抑制する政策を採っているという話は聞かないが、国内で外人を雇おうと外国の住人を雇おうと、日本人の代わりに外人を雇用することには変わりない。国内は駄目だが海外なら良いという政策は片手落ちではないか。


3.私は、これらをともに禁止せよと云う積りはない。むしろその逆である。
いずれの場合も、日本人しか採用しないことにすると何が起こるか。国際競争に勝てるだけの適任者が得難く、企業としても国全体としても競争力が落ち、国民所得も雇用も低下するという状況が生じないか。もし生じるなら、底辺の日本人は更に雇用され難く、収入も減るのではないか。一見良い提案のようだが、結果は意図に反するものにならないか。
この流れの背景を成すものはフリードマンのいう世界のフラット化、モノからヒトへと進むグローバル化、即ち自由競争と市場原理の拡大である。目を海外に転じた場合、自国民に失業者がいるかぎり、外国人は一切雇わない等という政策を採っている国があるか。
欧米先進諸国の失業率は総じて4−10%前後であり、就労者のなかで外国人が占める比率は総じて5−15%である。これらの数字でみるかぎり、自国民が不完全雇用の状態にあるなら外国人は雇用しない、という政策をとっている国があるとは思えない。


4. もっとも欧州でも米国でも外国人の受入れに反対する底流が常に存在し、それが何か
の拍子で移民排斥運動に発展したりすることがある。英国やスペインは欧州でも移民受入れに最も寛大な国だが、景気が悪化して失業者が増えて来ると移民受入れ批判論が強まったりする。米国では中南米からの労働者の増加に対する組合等の批判のなか、メキシコとの国境沿いに高い壁を作って密入国を防ごうとする動きが物議をかもしたりしている。
日本はこれら諸国に比し外国人の受入れは進んでいない。積極化する場合の日本は受入れ後発国である。それだけ賢くなり、先発諸国の二の舞を演じないよう、必要な対策をしっかりと織り込んで、受け入れを実施して行くことが出来るのではないか。


―国際交流の重要性―

1.日本人の総てが外国人の受け入れに反対している訳ではない。前述の通り、世論調査でもそうだし、私の期末試験でも、日本人学生の半数は受入れ賛成、2割が中間派、留学生は多くが賛成し、一部が留保つき賛成であった。これらの学生は、国内の少子化と国際的なグローバル化の進む中で、日本は外国人の受入れをもっと積極的に進めるべきであり、それは、日本の将来のためにも重要なことであるとの認識を示している。


2.同じ日本人、同じ学生でありながら、何故このように見方が分かれるのか。そこには、各人が外国人に対して抱くイメージの違いが大きく影響しているように思われる。
  外国人の受入れに消極的な学生は外国人の受入れというと犯罪の増加を連想する。
世論調査でも反対の最大の理由は犯罪増である。確かに、最近、日本では外国人の犯罪が目立つ。だが目立つ点では日本人の犯罪も同様である。日本にとり一番問題なのは日本人自身のモラルの低下と日本人自身による凶悪犯罪の増加ではないか。日本に来るような近隣諸国の出身者はアメリカや欧州にも多数移住している。だが、その為に受入国で犯罪が増加し、受入れ拒否の動きが生じている等という話は聞かない。
日本で外国人による犯罪が目立つのは、一つには国内の受入体制が整っていないためかもしれない。また、「外国人と犯罪」という意識が潜在するため、そういう報道等に過敏に反応しがちとなる、という傾向はないか。関東大震災の時には「朝鮮人が攻めて来る」「朝鮮人が井戸に毒を入れている」といった荒唐無稽なデマ情報が各地に拡がり悲劇を招いた。


3. では受け入れに積極的だったのはどんな学生か。調べてみると面白い事実が判明する。
最も積極的な反応を示したのは、高校時代に外国出身の同級生を自宅に受入れていた、同じクラスに留学生がいてホームステイ先にもよく行った、親の仕事先等でしばしば彼等に接する機会があった、大学に来て最初の友人が中国からの留学生だった等、外国人と接する機会を持ち、彼等が仕事も熱心にするし、良い友人にもなれると知った、等と述べている生徒達である。私の身の回りでも、外国人に接することの多い人や、外国生活の経験のある人ほど、外国人の受入れに抵抗感がなく、積極的に歓迎の態度を示す人が多い。


4.人間は知らない相手を警戒し、親しくなると安心感を持つ。外国人についてもそうだ。外国人受入れに対する人々の態度も自らの経験如何により異なり得る。それは日本人に限らず人間共通のものであり、理屈を越えた事実、現実であろう。
以上の結論は、外国人受け入れの積極化が日本に利益を齎すものである以上、それに対する国内の共感を充分に得られるように、政府は国際交流と相互理解の促進にもっと力を入れるべきだと云うことである。一見、遠回りのようだが、それが今後の日本にとり最も重要な施策の一つだということである。
では如何すれば良いか、色々な方策があり得ようが、私は多くの日本人が知らないと思われる英国の例を以下に紹介することとしたい。


―「世界の門」学校間交流の勧め―

1.外国人受入れの成功には交際交流と相互理解が大事と思われるが各国の状況はどうか。
世界の先達たる欧州では、色々の問題が報じられがちなドイツやフランスとは対照的に、多くの外国人を積極的に受け入れ、彼我の共存に成功しているのが英国である。
それは昔から英連邦の盟主として外国人の扱いに慣れているからではないか、と思われるかもしれない。確かにそういう面もあろうがそれだけではない。英国政府は、国際交流を通じて国際的理解の育成と友好関係の推進を体得させるべく、幼稚園から大学にいたる国内の総ての学校に、国際交流と姉妹校作りを推奨する、という大政策を推進している。 


2.それを具体化するための手だてともいうべき大きなパイプ役を務めているのが国際文化交流推進の役目を担うブリティッシュ・カウンシル(英国文化振興協会)である。この協会がDCSF(英国子供・学校・家庭省)とともに、この政策の実施手段ともいうべきGlobal Dimensionと名付けた国際理解情報のポータルサイトを運営している。
世界への門(Global Gateway)( http://www.globalgateway.org.uk/)と呼ばれるこのサイトは英国の学校と世界の学校をつなぐツールとして運用されている。このサイトを検索してみれば、英国は徒に大英帝国の地位にしがみ付いたり、過去の栄光を追いかけているだけの国ではなく、広く世界の様々な国々やそこに住む人々との間で、理解を深め協力を進めようと考え、国を挙げて、地道にその為の方策を推進していることがわかる。


3.このサイトは本来、英国の学校教員や地方教育局向けに作成したものであるが、他国のユーザーも利用可能である。私はブリティッシュ・カウンシルに依頼し、この仕組みを通じて、日本国内の自分の出身校と英国の高校との間に姉妹校提携の道を開いて貰った。
何事もきっかけやインセンティヴが重要である。英語も英語が大事だといっているだけでは生徒は動かない。だが英国に姉妹校が出来て、その姉妹校の生徒とインターネットで交流し、高校二年にはお互いに姉妹校を訪問するとなると、生徒の態度はガラッと変わる。そこから外国に関心を持ち、歳月とともに、広い国際感覚を持った人間、国際人として世界に通用する日本人が次々に誕生して行く。それを期待してのことであった。 


4. この仕組は日本中の学校が利用可能であり、年齢を問わず参加できる、最も優れた国
際交流入門法の一つである。しかもその気になりさえすれば直ちに実施に移せる。
私は日本政府にも、国策として、学校間の交流を通じ子供のうちから国際感覚を養う施策を講じて貰いたいと思う。この分野で先達の英国と提携して実施するのも一案である。
この点に関連し、一言付言しておきたい。この交流の実現には校長と英語担当の先生の意欲がその成否を左右する。校長がよく分らない為に身を引いたり、英語担当の教師が取り組みを躊躇したりしていれば、仲々実現しない。だが、最初から外国語や外国相手の仕事に慣れた日本生まれの日本人はいない。誰でも勉強して始めてそれが身に付く。この構想に対しても気後れせず、皆で協力して前向きに取組んで貰いたい。


―受入れ成功の為の諸条件―

1.外国人受入れの推進に対する国内のためらいの総てが間違っている訳ではない。
  移民先進国である欧州の国々や米国が経験してきた問題は日本にとって他山の石である。
  日本を目指す外国人は、本来我々の貴重な友人、その人々が来ない方が良かったと思ったり、日本人が帰って欲しいと思ったりしないよう、事前によく研究検討し、安定的な受け入れ、滞在、共存関係が実現するように受け入れ体制を構築することが肝要である。


2.何が問題か。移民は受入れないことを国是としてきたわが国では、外国人の入国管理や外国人登録についての法律はあるが、外国人受入れの基本的考え方や滞在中の権利義務関係とその関連事項等を網羅的に規定した基本法的な法律は存在しない。
私はこの機会に日本も基本法を制定した方が良いと思う。だが、それには時間が掛かるので、当面身近な処から個々に検討して改善策を講じて行きたいという場合は、内外無差別を基本として、保険、教育、その他の面で必要な施策を、透明性の高い形で具体化し、日本の外国人に対する待遇が諸外国に劣ることのないよう配慮すべきである。


3.何故、そうする必要があるのか。それは第一に、しっかりした枠組みを作らないまま無原則に受け入れを広げてゆけば、その扱いもばらばらで、収拾のつかない混乱した状況が生じる可能性があるからである。そういう事態を防止するには、あらかじめ、きちんとした受入れ原則を定め、それを国内にも周知徹底させておく必要がある筈である。
だが何故内外無差別が原則なのか。それはそれが人権に関する世界の大勢であり、如何なる分野ないしレベルの外国人の受け入れであれ、優秀な外国人を確保し、外国人の受入れに成功するには必要なことだからである。外国人の受入れは受入れ側の一方的な「買い手市場」というのは過去の話になりつつある。先進諸国の少子高齢化の進行拡大とともに、分野によっては既に「売り手市場」の時代に入りつつあると考えておくべきである。
現に、フイリピンからの看護師、介護士の受け入れを定めた日比経済連携協定が未だ比側により批准されていないのは、一つには、日本での資格の取得を義務付ける等、日本の受け入れ条件が米国等に比し厳し過ぎる、として野党が反対しているからである。


4.欧米諸国の例から見て、日本が長期的観点から重視すべきことは、受入れ外国人と日本人との共存を上手く実現維持することであるが、本格的対応となるとこれからである。実用レベルの日本語の体得、日本文化と日本の日常生活、社会的習慣の習得等のために、組織的な対応の仕組みを考える必要がある。そのためには地方公共団体、企業、教育機関、NGO等の間で効率的な連携協力関係を構築することも重要であろう。
これらの点については既に地方レべルでは積極的取り組みが行われている処もあるが、将来はそれを全国的規模で組織的に展開して行かねばならない。それには如何すれば良いか、何処で、どうやって、具体的施策を纏め上げて行くべきか、また纏ったものを、どのようにして的確に実行し、維持して行くか。次に、その問題を考えてみることにしたい。


―新政策推進のための組織つくり―

1.上述の通り日本の内外情勢は外国人受入れ政策の転換を必要とする段階に至っている。
そこで必要なことは、例えば、フイリピンから何人の看護士を受入れるかといった個別案件の処理ではなく(勿論それはそれで大事であるが)、これまで充分行って来なかったこと、即ち、どういう基本的な考え方に従って外国人を受入れるか、受入れ滞在の基本的な仕組みをどうするか、それらの外国人にどういう権利を与え義務を課すか、といった外国人の受入れの為の基本的枠組みを検討構築し、それを実施することである。


2.では、何処で、こういうことを検討、決定し、推進すべきであろうか。検討の対象は、従来法務省が主管していた出入国管理や外国人登録といった手続事項に止まるものではなく、企業活動、雇用、福祉、教育、対外関係等、幾つもの省庁の主管事項にまたがる。広い見地から外国人の受け入れ滞在を見直し、新政策を打ち出す、ということからすれば、国策を総合的に検討、調整する立場にある内閣官房が主管する審議会を総理の直轄の下に設立し、各方面の有識者の参加も得つつ作業を行うというのが自然なようにも思える。
また、審議会での検討を踏まえた政府としての最終的結論の実施はどの官庁が主管すべきか。それは、出入国管理や外国人登録の実施といった事項とは異なり、複数官庁にまたがる実質的政策事項の検討と調整、決定と実施が中心となる。これらを総合的に主管するものとして、内閣府のもとに「外国人受入庁」を新設する、ということも考えられる。


3.実施上最大の問題は単純労働者ないし中程度の技術を有する労働者の扱いである(注)。
質的にも、量的にも、従来を超える受入れを新たに実施する場合、入国後のことを放置しておくという訳には行かないであろう。そこには彼らの入国滞在関連情報の把握と集中管理、日本語の習得等の為の研修、稼働状況の変化の有無、家族に関する問題、教育医療絡みの問題、その他滞在、稼動や移動に関連する様々な問題への対応や、都道府県、企業、教育医療機関、NGO等との協力、その他の関連事項への対応の問題があり、それらが外国人受け入れ問題の成り行き、その成否の決め手となり得るからである。


4.これを何処で処理するか。基本的には上述の外国人受入庁が政策的事項への対応を担当し、技術的、手続き的、日常的業務は、(財)国際研修協力機構(JITCO)ないしこれを母体とする新組織を設け、そこで担当することにするのが現実的ではないかと思われる。
JITCOは民間団体や企業による研修生の受入れに関する支援、助言、指導を任務とし、現在、年間7万人前後の企業研究生の受入れ、15万人超の企業研修(実質就労である技能実習を含む)につきその任に当っている。稼動目的だけの外国人の受け入れを行うことになる際は、それに関する任務を与えられれば、それなりに対処出来る筈である。


(注) いずれにせよ、新しい施策として最初は試行的に実施し、必要に応じ仕組みを見直し、各当事者、関係者に納得の行く、円滑で安定した運用の形を見出すことが肝要である。

―多少の新しい試み―

1.日本の外国人受入れ政策の最大の問題点は、「専門的・技術的分野」の外国人労働者の受け入れは積極的に推進するとしながら、所謂「単純労働者」の受入れは国民のコンセンサスを踏まえ充分慎重に対応することとし(第9次雇用対策基本計画・平成11年8月閣議決定等)、結果として、単純労働者やこれに近い中程度の技術の保有者については、受入れ需要は大きく、かつ増大しつつあるにも拘らず、現在に至るまで企業研修生(技能実習)という形でしか受入れを認めない、という政策を続けていることである。


2.私がこれまで検証し、指摘したかったことも、国内の少子化や国際的なグローバル化等様々の側面からみて、この際、この分野において、より柔軟かつ積極的な対応を行うことが日本の国益であり、政府はそういう政策に踏み切るべきである、ということに尽きる。
これに対し政府は、国民のコンセンサスがあるか、と反論するかもしれないが、そもそも人によって意見の異なる問題について、国民のコンセンサス即ち「一致した意見」等というものは存在し得ない。政府は世論調査も行っているというかもしれない。だが、全く事前の説明もせず、意見交換の機会を設けることもなく、何の啓発努力もしないままで世論調査を行い、様々な対応の余地のある結果を得ながら、最も後ろ向きの政策を選択し続けて来ているようにみえるのは何故であろうか(注)。


3.そうは言われてもやはり心配という方のため、若干の追加的試案を提示して置きたい。

 
  1. 留学(卒業)生には日本での就労を優遇的に認め、在日外国人の良質な安定に資する。
    (受入れ外国人との共存の観点より最優先すべきは留学生の就業受け入れとの発想)
  2. 稼動目的の外国人に関する支援や助言を企業研修生の場合と同様にJITCOで行う。
    (それにより受入れ外国人全体の滞在、稼動等の一括管理と問題処理が可能となる)
  3. 外国人特区を設け、単純・中級技術外国人を多数配置した経済活動を試行する。
    (特定の施策を最終的政策ではなく例外的措置の形で導入、将来をコミットしない)
  4. 日本の農業の再生のため外国人を多数配置した農業プロジェクトの試行を行う。
    (農産物の国際的な価格高騰と供給の不安定化が進むなかで国産の飛躍的増強を図る)
  5. 地方における医師問題解決のための外国人医師の受け入れ。(現在のところ地方における外国人特区の提案は受入れられていないが、産科、小児科、麻酔科、病理科、次いで外科の医師不足は限界に近付きつつある由であり、言葉の問題等もあるが、何らかの形で外国人医師の補助的活用を考えることが出来ないか、との観点からの提案)。<

(注) 2004年の世論調査結果:専門的技術、技能知識保有者は受け入れ、単純労働者の受け入れは認めない(25.9%)。女性や高齢者など国内の労働力の活用を優先し、 それでも労働力が不足する分野には単純労働者を受入れる(39.0)。特に条件をつけずに単純労働者を幅広く受入れいる(16.7)。わからない(17.7%)。受入れを認めない理由:治安悪化の惧れ(74.1%)。地域社会でのトラブル多発の惧れ(49.3%)。雇用情勢に悪影響を与える(40.8%)。

―「国家の品格」再訪―

1.私はこれまでの検討で、外国人の受入れは少子高齢化の進む日本が、モノ、カネ、ヒトと国際化の進む世界で生き延びて行くために採るべき方策の一つであることを理解、納得して貰おうとして来た。その過程で、自民党内には進んだ考え方が生まれていることが分ったが、新聞論調では外国人を入れるよりも女性の活用を図るべきとか、ロボットの活用により数百万人分の労働がカバー出来る、といった記事が目につく。


2.だが、外国人の受入れは労働力の確保の観点のみから賛否を論ずべき問題ではない。
それは国の姿と深く係わり、国のあり方の観点から考えてみることも必要だからである。
近年「国家の品格」と題する本が話題となったが、特定の個人を挙げて人の品格やあり方を論じる視点からだけでは、国際的に尊敬される国の姿やイメージは浮かんでこない。
私は先に「美しい国」について検証した際に、外国人が美しいと思ってくれるのでなければ美しい国とは言えないと指摘したが、同じことは「国家の品格」にも当てはまる。   
それはどう云うことか。私はその問いに対する答えの一つとして、先日の期末試験で私の目にとまった、ある中国人留学生の答案の抜粋を下記3.の通り紹介することとしたい。


3.「国の発展には新しい血液がいる。外国人はそんな血液である。外国人と交流して新しいことを知り、違う考え方と価値観に接触し、様々な文化を融合するところに、発展と新しい生命力が生まれる。アメリカ、欧州の国には継続的な移民の流入がある。欧米社会は高度の解放性と流動性をもつ社会だ。
それと違って、日本は単一民族、均質的な社会だ。その視点は狭い。国土の狭さは不変の事実だが、考え方が寛容になり、視野が広く心が寛大になれば、日本も広くなる。
イギリスも狭い。でもイギリスに対しては人々は大国のイメージを持つ。それは社会の開放度と国民の視野に関係があることを否定できないと思う。
アメリカは世界の人々の”dream land”である。どんな色の皮膚を持ってもチャンスは均等、知恵と努力さえあれば、アメリカは貴方にチャンスを提供する。それは短い時間でアメリカが経済大国になった理由の一つだと思う。
日本の経済は低迷しつつある。どうやって日本経済を長期的に健康な発展の軌道に乗せるかは皆の課題である。外国人を受け入れるのはその一つの解決策かもしれない。」


4.この留学生の指摘に対しては一面的との批判もありえよう。その見方が総て正しいとはいえないかもしれない。だがそれは日本と米国、英国といった国々が国際的に持つイメージ、少なくとも日本に滞在中の若い中国人が抱く印象と意見の率直な告白である。
古来、世界の大国といわれる国の都は千客万来の地であった。我々が後向きの国際的孤立化への道を排し、平和で繁栄し、国際社会で名誉ある地位を維持する日本を目指すなら、それに相応しい「開かれた国」としての生き方を求めて行かねばならない筈である。
外国人の受入れも、そういう観点も併せて、偏見を排し建設的に考えたいと思う。

KAJIMA INSTITUTE of INTERNATIONAL PEACE