「美しい国」を考える

鹿島平和研究所理事
福山大学客員教授
元在ペルー大使
元在ノルウェー大使
妹尾正毅

 安倍総理は美しい国たる日本を目指すと言われる。
 美しい国とはどんな国か。私は、先ず、他国の人が美しいと思ってくれる国でなければならないと思う。それは自分を美人だと思う人が美人だということにはならないのと同じである。自分のことをどう思うかと言うだけなら、自己満足の世界に過ぎなくなる。

では、具体的にはどんな国か。人々がそこに住みたくなるような国ではないか。自然の美しさもあるが、それだけでは美しい風景というに止まる。国は人があって成り立ち、住む人の営みによって左右される。トロイの発掘で有名なシュリーマンが日本を美しい国と思ったのは富士山を見たからではない。町並みは清潔で人々が正直だったからである。

だが、現在でもそれが総てだという訳ではあるまい。グローバル化が進む今日の世界の特徴は、物、金、人の交流、文化の対立と共存、諸制度の競合と融合等が大きな流れを形成していることにある。その意味では、よき古き日本、わけても鎖国的な日本の再現を目指す内向きの発想からは、現代の美しい国日本は生まれて来ないであろう。今日の世界における美しい国とは、人々の間に正義、衡平、共存が存在し、人の心が豊かで暖かく、他国の人々にも開かれた千客万来の国ではないか、と思われるからである。


対外援助には金を沢山出しても、様々な形で外国人を排除しがちな国を美しいと思う外

国人は少ないであろう。日本人の側に立って考えてもそれが良いことのようには思えない。
 周知の通り、日本の国内労働人口に占める外国人の比率は約1%であり、他の先進国の

510%に比し極めて低い。政治的にも、経済的にも、また社会的にも、それだけいびつな国になり易い。欧州における外国人や外国移民の処遇、米国の密入国者問題、さらには外国人犯罪の増加等を指摘して反対論を展開する向きもあるが、それは受入れ方次第である。こういった反対論を退け、外国人受入れに対する積極的な姿勢が米国の発展を支えていると指摘する米国民間機関の最近の研究結果こそ、わが国として耳を傾けるべき所見ではないか。国論の啓発を図りながら、他国の過ちを繰り返さぬよう所要の施策を講じつつ、基本的には前向きに具体策を考えて行くのがわが国のとるべき道であろう。    

美しい国という観点からみて考えさせられることはそれだけではない。原爆症の認定その他に見られる朝鮮半島出身者等の元日本人の扱い、所謂従軍慰安婦問題と向き合う姿勢、日本人と外国人との間に生まれた子供の国籍の認定、その他様々な場面で、過去の日本との関わりが現在に暗い影を落とす外国籍の人達や、外国人というよりも日本人として生きることを求める人々に対する関係者の対応には、硬直的な法律論や原則論への固執振りが目立たないか。美しい国を目指すなら、もっと、日本と行動をともにした人達への心遣いとか、身の回りに仲間を増やしたいといった発想、更には日本と関わりを持って良かったと外国の人が思うような何ものかがあって良いのではないか。
 少子高齢化が目立つのを見て美しい国と思う人も少ないであろう。
 少子化をどう考えるか。国内の一部にはその影響を軽視する楽観論や、逆にそれを既定

の事実とするしかないとする悲観論が見られたが、これらはいずれも行き過ぎであろう。

少子化の齎らす影響には計り知れないものがあり得るが、対策が無い訳ではない。 

この際、中期、長期の双方の観点から、思い切った子沢山支援と少子化対処策を進めることが肝要であろう。子沢山支援策には、欧米の場合と同様、「資金、施設の両面にわたる育児支援策の思い切った強化拡充」と、「出産が子供の両親、特に母親に齎し得る社会的なマイナスをミニマイズする男女同権的施策の徹底的推進」の二つの面がある。わが国では前者は重視されても後者はないがしろにされ易い。それだけに、政府、企業、個人の三者間の協力により、息永く後者の努力を積み重ねて行くことにも意を用いたいものである。


日本経済の活力維持のための、より即効的な施策としては、高齢者、女性、若者の就労増と生産性の向上、そして、それを補完するものとして外国人の活用が挙げられ、しっかりした成果を挙げたければ、その総てに力を入れる必要がある。この観点からは、各国の人材確保の努力をよそに、中曽根内閣が目指した十万人の水準に達した留学生を殆んどそのまま帰国させるという状態が続いている日本の外国人受入れ政策も見直すべきであろう。

自らのイニシャティブで日本に渡来し、日本語と日本での生活方法を学び、自立して日本で生活する意志と能力を備えた留学生こそ日本での就労と生活に最も適した外国人であり、政府や企業が外国人の雇用を考える際に最優先で採用の対象とすべき人達である。

だがこの留学生の多くは、少なくとも最近までは、日本滞在中に一度も日本の企業を訪ねることなく過し、留学期間が終了するとそのまま帰国しているということが判明している。日本経済の活力維持のため、日本に留まる用意のある友人達の厚意とエネルギーを積極的に活用することも、美しい国日本への道の一つではあるまいか。


経済活動が沈滞する国は美しい国とは云えまい。その点から見て日本が直面する最大の問題は人口減である。上述のような施策によりGDPの規模の低下は防げるにしても、国内需要の減少は防げないかも知れないからである。出生率の回復策が効果を挙げるにしても、それが経済活動に現れるには時間が掛かる。その間、国内経済のデフレ化を防ぎ、日本経済の活力を維持して行くには如何すれば良いか。

それには、物、金、人の総ての面で国際交流を促進し、それを妨げる障害を出来る限り取り除き、フリードマンのいう「フラットな世界」を目指して、広い世界全体を活動の場にする政策を貫いて行くことしかなく、かつそれに尽きるのではあるまいか。

だが、それは農業問題を始め、国内的には「総論賛成、各論反対」という障害が多い世界のように見える。その実を得るにはよほど思い切った決断を重ねて行かねばなるまい。

国際面では近隣諸国との関係の一層の改善をはじめ、各国に受入れられ易い対外関係を構築して行くことが、日本の将来にとって死活の戦略的重要性を持つ。

それには国際的な配慮も重要である。そう言うと、それは改めて指摘されるまでもない、との批判もあるかもしれないが、近隣諸国との関係上、更には米国との関係でも、心すべきことは少なくない。わけても、日本は第二次世界大戦に至る対外関係の軌跡を美化し、正当化しようとしているのではないかとの疑念の広まりは、戦後60年間にわたりわが国が営々として築いて来た「新しい日本」のイメージを根底から覆す惧れなしとしない。

この先、時は必ずしも日本に有利ではない。これまで以上に慎重な対応が求められる。


最後に、美しい国たるには常に周りの顔色をみてから行動すべきだ、と言う積りはない。日本が、日本独自の立場から、世界のため大事だと信じることを発信し、推進し続けることは極めて重要である。平和・軍縮、エネルギーや環境保全、相互理解と国際協調の精神等は、これからの世界秩序、世界のあり方を左右する極めて重要な分野ないし原則であり、それも、日本の国情と国益に裏打ちされた日本独自の貢献が期待出来る、しかも内外識者の共感を得やすい普遍性に裏打ちされた分野である。こういう分野で積極的にイニシャティ−ブを取って行くことにより、日本はそれだけ美しい国に近付いて行くであろう。


美しい国」をめぐるこれまでの国内の議論は、多分に、よき日本の伝統への回帰と個人の倫理観の確立の強調に重点が置かれて来たような印象を受ける。

私はこれらが重要でないと言うつもりは毛頭ない。だが私自身が大学の教壇に立って来たり、高校生と係りを持って来たりした数年間の経験からすれば、若者の内なる変化は、例えば専門家の会議で新しい文書を採択することにより自然に実現するものとは思えない。 

外国語の勉強は日本語をしっかり身に付けた小学5年生以上になって始めるべきだといった国際的常識に反する答申がまかり通る国内の状況から見ると、「美しい国」の構想が不毛な情緒的な議論に終始するのでないかが気に掛る。

若者に日本人たることの誇りを持たせたければ、また日本に生まれて良かったと思わせたければ、JICAの青年協力隊の活動を拡大し、夏休み等に多くの学生にこれに参加する機会を与える等のことを考える方が近道であろう。それが出来なければ、各国の惨状とJICA派遣等の日本の若者の途上国での活動の実情を身近に取り上げたヴィデオを、出来れば十本ばかり、系統的に上映して意見を交換させるだけでも良い。また、外国嫌いな人達には、外国で日本語を熱心に勉強している若者達を訪問させれば良い。国内の企業現場の人に外国人の働き振りについて尋ねてみるのも良い。自然に考え方が変る筈である。

私自身様々な場面でこれに類する経験をした。こういう問題について更に話し合ってみたいとお考えの向きがあれば、喜んでそういう機会を持ちたいと思っている。

私も「美しい国日本」を実現したいと思う。そして、それを推進する以上、国際的に説得力のあるものでなければ、と思う。その意味で本稿が何らかの役に立てば幸いである。


KAJIMA INSTITUTE of INTERNATIONAL PEACE