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“CHINA: The Balance Sheet”を読んで              (2007・8・2)

鹿島平和研究所評議員
元在中国大使
國廣道彦


1.この本は経済専門家のFred Bergsten,中国専門家のBates Gillと Nicholas Lady及び国防省出身でアジア問題に詳しいDerek Mitchellの共著で、顔ぶれに不足はない

  • 2.この本を構成する問題設定も適切で、興味をそそる。
  • (1) 中国国内経済:持続的発展か、崩壊か
  • 中国経済は何ゆえにかくも急激な発展をしているのか? 

    持続的発展に対する障害の主なものは何か?   

    中国が直面するその他の主な経済的挑戦は何か?(所得格差の増大、都市化・失業・労働市場の変化、資源・エネルギー需要、農業問題、財政問題、社会政策)   

  • (2) 中国国内の変化:民主化か、秩序混乱か
  • 国内の不満:社会不安が国の安定を脅かすか?

    腐敗が党の終焉を意味するか?

    人口問題に対処できるか(流動人口、高齢化、男女比率の歪曲、社会福祉:ソシャル・セイフティ・ネットはどうなったのか?(教育、保健・衛生)

    環境問題の予測は?

    共産党の調整:権力を維持するためにどれだけの改革をするか?(党内民主化の推進、グラス・ルーツでの若干の開放、党と政府・中央と地方の調整、NGOの許容、)

    人権、市民的自由、宗教の自由は改善されているか、悪化しているか?

    法の支配は進んでいるか?

    米中関係に対する意味合いは?

  • (3) 世界経済における中国:機会か脅威か
  • 何故に中国はかくも大きな対米黒字を持っているのか?(米国の輸出規制、中国の市場開放度、中国の低賃金のアドバンテージ、アジアの生産ネット・ワークに占める中国の重要な役割、元安問題、中国の通貨制度が世界経済に生じている問題、知的財産権保護)

  • 中国は技術超大国になりつつあるのか?

  • 中国の米国債券購入は米国の弱みとなっているか?

  • 米国は中国の米企業買収を憂慮すべきか?

  • 世界経済秩序における中国の役割はいかにあるべきか?

  • (4) 中国の外交・安全保障政策:パートナーかライバルか
  • 中国は米国をどう見ているか?

    中国は米国を東アジアから追い出そうとしているか?

    中国は世界戦略で米国と競争しているか?(中国のエネルギー外交、戦略的日和見主義の傾向、東南アジア政策、ロシア政策)

    中国と台湾(ひいては米国)との武力衝突は不可避か?

    中国の外交政策は国際システムを守るか、覆すか?

    中国の対日関係は敵対的なものに運命付けられているか?

    朝鮮半島における米中の利益は収斂するか?

    中国は何故に軍事力を強化しているのか?(中国の軍事費)

    以上の設問に対する著者の解答にとくに目新しいことはない。この本の目的が「十分な知識に基づく議論と首尾一貫した政策を導き出す情報と分析の基礎を提供することである(p17)」という意味ではよい参考書といえよう。


  • 3.しかし、これだけの専門家が書いたにしてはもう少し突込みがあってよいのではないかと若干の失望を感じる。
  • 私なりの批判は次の通りである。
  • (1)中国のこれからの持続的成長の最大の阻害要因は環境問題であり、それが生じる社会不安ではないかと思うが、その点の判断が甘いように思われる。
  •   
  • (2) 米中貿易不均衡是正のためには2005年夏の時点で20〜40%の減の切り上げが必要としながらも(p93)、その主張はせずに、世界の不均衡をもたらす弊害議論を転じ、米議会の保護主義台頭に対する警告をするにとどめている。過剰な外貨準備がもたらす中国経済に対する問題も議論していない。元を切り上げても中国の対米黒字があまり減らないことは日本との経験でほぼわかっているし、米国の産業、消費者に対する影響も複雑なために歯切れが悪いのだろう。
  • (3) 経常収支の不均衡是正のためにより重要なことは米国の貯蓄率を引き上げることと、中国の消費を増やすことであり、その点この本は正確に突いている。しかし、中国の医療、社会福祉に対する政府の支出を格段に増やすべきだという議論はもっと強力に展開して欲しかった。
  • (4) 腐敗の問題が深刻化していることは認めながらも、「この問題はまだ支配階級にとり切迫した脅威とはなっていない」と述べているが、楽観的過ぎないか。
  • (5)この本も中国の急速な経済成長が過剰投資によるものだという指摘を行ってはいるが、その結果何時ごろ、どの規模でバブルがはじけるかと言う予測をもう少し大胆にやって欲しかった。これがわれわれのナイトメアなのだから。
  • (6) 中国の軍事力強化に対する評価も少し甘すぎないかと言う気がする。米国との差がいまだに大きいことは確かであろうが、中国は既に米国の軍事力によってintimidateされないだけの軍事力を備えてきているように思われる。たとえば米国が台湾問題で軍事介入しようとしてもその能力は今や現実には余りなくなっているのではあるまいか。要は西太平洋における米中の軍事バランスがどうなるかであって、グローバルな軍事バランスの問題ではない。

  • 4.この本の中で、特に注目された点は次の通り。
  • (1)中国の保健、教育、福祉、年金関係の財政支出はGDPの僅か3.5%でしかない。これに対して家計がこの関係の負担をGDPの2%占めている。  
  • (2)所得格差に関し、最下層の実質所得が相当上がれば、所得の相対的不平等が社会不安の原因になる恐れはないというのは(p31)、私の持論と同じである。  
  • (3)財政赤字問題に関し、国債残高のGDP比は比較的低いが、地方の政府・半政府の債務、国有企業の債務、国有銀行の不良債権を参入すると、GDPの85%(10兆元)になり、さらに年金の積み立て不足の問題がある。
  • (4) 医療費の政府負担の割合は1980年から2004年の間に36%から17%に減少した。企業の負担も43%から27%に縮小しており、患者の私費負担が21%から56%の増大している。政府支出が予算の5%にとどまっていることを考えれば、私費負担の軽減は可能なはずである。
  • (5) 1990年代に75%の地方の党組織が「壊滅状態」にあり、伝統的地方ボスと新生のキリスト教会が政治的空白を埋めつつあるという内部報告がある。
  • (6)胡錦濤は自由な改革派ではないかと期待されたが、彼の政治イデオロギーは新左翼と共鳴するところのほうが大きい。彼の目的は、民主的改革によるのではなく、彼の「質素な生活と勤勉な努力」という毛沢東のスローガンの復活に示されるような「原点」に戻ることによって党の統治能力を強化することにある。
  • (7)米国の対中輸出規制に関し、規制の対象は意外に少ないし、輸出許可申請の80%に許可が与えられている。すべてに許可が与えられたとしても、対中赤字の減少は0.3%に過ぎない。
  • (8) 中国の対米ハイテク製品輸出は確かに急増しているが、その多くはノート・パソコンや携帯電話などの大量市場製品で先端技術製品ではない。それも生産企業の多くが外国企業である。中国のR&D支出が急増していることも事実であるが、米国のR&Dは依然世界の40%を占めている。中国のIT卒業生は米国の4倍といわれているが、世界企業で働く能力のあるのは16万人と推定されている。
  • (9) 日中関係について、中国側は時は中国に有利と見ており、日本側はそれを感じ取って、憤慨と不安感を深めている。

  • 5.結論:バランス・シート
  • 中国は米国にとって機会でもあり脅威でもある。そのいずれになるかは、政策の選択と中国と米国双方の国内の力学によるところ大である。米国は、良しにつけ悪しきにつけ、中国の将来を決める決定に役割を演じうる。したがって、米国は中国を世界的な経済・安全保障システムに取り込むことに絶大な利害関係を持つ。バランス・シートとして、米中間の相互利益の分野のほうが潜在的紛争の分野よりはるかに大きい。


KAJIMA INSTITUTE of INTERNATIONAL PEACE