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国語についてちょっと変わった考え方

  鹿島平和研究所 会長
  平 泉  渉

1. 日本語は、フランス語のような言葉とは成り立ちが違っている。フランス語はラテン語が母体であって、それが時代と共にゲルマン系やケルト系の言葉からの影響を受けながら発達した言葉と言われる。「影響」といっても、特定の分野での単語の移入が主なもので、「現代に話されているラテン語そのもの」だといわれるフランス語の本質に影響を与えるものではない。 一方、中世以降の日本語は古代日本語の基層の上に五世紀頃から全く言葉としての系統が違う中国古典語が大量に流入してできた混成語である。


2. 日本の言語は中国語との接触によって根本的な変化を遂げた。まず、漢字と、その簡略化である假名が日本語の文字として採用され、更に、ほぼ20世紀の中頃に至るまで、公式の書き言葉として中国古典語が用いられるようになった。その結果、日本の書き言葉は一千年以上に亙って日本語と中国古典語とが並立する二重言語の状態にあった。古事記、日本書記から江戸時代後期の大日本史や日本外史に至るまで、日本文化を代表する多くの重要な文献が中国古典語で書かれている。現在でも日本では「国語の辞書」として「国語辞典」の他に「漢和辞典」が並立して存在する。

3. 並立だけではない。中国古典語は、日本の上代に当たる時代には既に二千年を超える歴史を持つ文化を育てた言語であって、強い浸透力を持ち、怒涛のように日本語の中に流れ込んだ。現在、日本語の中に横文字に由来するカタカナ単語が増加していることがしばしば論じられるが、その量は所詮大きなものではない。しかし漢語の場合には、日本の日常語の中にも無数にはいり込んでおり、到底「カタカナ語」の量と比較にならない。殊に明治大正時代には西欧の文化が齎したさまざまな新しい概念の訳語として新しい漢語が次々と日本で造語された。その中には逆に中国に輸出されたものも少なくない。

4. ここで問題となるのがこれらの漢字の発音である。元来、漢字には我が国に伝来した当時の中国語の文字としての音があり、それらを当初はそのまま日本でも学習し、習得しようとしていたことは当然であろう。しかし、中国との交通手段が極めて限定されていた古代、中世の事情を考えればこのような「原音主義」は早晩現実と妥協せざるを得なかった。そればかりではない。そもそもこれらの漢字は当時の日本では外国語の要素として流入したのではなく、日本語の要素として大量に用いられていたのであって、それらの発音をどう扱うかはそのまま全体としての国語の音韻構造を揺るがす大問題であったはずである。結果的には次の事態が生起した。 個々の漢字に対してその当時の中国での本来の音価を尊重しつつも、他方で日本語として無理なく受けいれられる新しい音が日本音として割り当てられた。その結果、全ての漢字に対してほぼ一対一で原音を写像する日本漢字音の体系が作り出された。これらの日本漢字音は当時の中国での原音を髣髴とさせるものでありながらも、本来の中国語の音声とは全く異質のものである。 言語を1つの音声としてみると、これは従来の日本語の音声とも、中国語の音声とも、いずれとも全く異なる第3の音声の出現である。しかも、この日本漢字音には原音の声調こそ消えたが依據する中国漢字音の種別に基づく少なくとも2種類の全く異なった音の体系が並存し、日本語ではそれらを適宜混用することで音声として更に一段と複雑な音色を表現できる。それらは、全て中世以降の「日本語の音声」の重要な構成要素となった。 更に、「漢字漢語を日本語として発音する」ことから一歩進めて、次には「漢文」全体をそのまま日本語として「読む」ための努力が払われた。漢文も国語であるからには、中国語の原音で読む必要はなく、むしろ日本語と調和する日本漢字音や訓読みを用い、更に、適宜に助詞を補い、語序を変えれば、そのまま日本語として読むことが出来るという考え方である。これは古典中国語の文法構造から見れば成り立つ考え方であった。その結果として、我が国では中国古典語で書かれた膨大な量の文献が一千数百年の歳月の間を通じて「全面的に日本語で読まれる」という状態が生起した。更に、この「漢文訓読」の文体こそは実は中世以降の文語日本語の源流となった。

5. 英国が11世紀初頭、北仏のノルマンディー公爵の征服を受けた時、来英したノルマン・フランス人は僅か約5000名ほどにすぎなかったといわれている。彼らはやがて英国を統治する大貴族となり、イギリスの統治機構の公的言語は、以後三百年に亙り中世フランス語となった。これが現代英語において、フランス語起源の単語が多く存在し、内容の高級な単語は全部フランス語起源のものである理由であって、日本語における漢語の位置によく対比される。但し、英語の仏語化は英国が一握りのフランス人騎士団によって軍事的に征服されたことに由来する。そのためか現在でも、英米人は、英語の中に仏語系の単語が多くなりすぎることを嫌う。英米人にとって、仏語系の単語に対しては一千年経ってもまだ征服者の言語に対する抵抗感が残っているのであろう。他方我が国は中国軍による征服を受けたわけではない。逆に日本人が全く自己の意志で自らの言語の音楽を、根底から変化させたのである。中国語の単語をぼつぼつと輸入または借用したのではなく、それを丸ごと日本語の中に取り込んで「消化」しようとした。 関連する外国人の大量の来日という事態なしに、単に文献の輸入と限られた数の外国人知識人の渡来だけで、1つの国にこれだけの言語上の変化が起こったことは、世界史上で見てもかなり異様なことである。しかも、我が国では漢字、漢文の知識は貴族・僧侶に止まらず広く武士・町人、農民にも広まった。既に13世紀初頭には、平家物語のような和漢混交文の名作が国民的に愛唱されるに至っている。  西ヨーロッパ諸国の「文芸復興」は、古典ラテン語の再学習から始まったと言われるが、我が国におけるように、自国語そのものの中に外国の古典語を大量に導入し、自国語を、その音韻も含めて根底から変化させたという例は西欧にはない。

6. 凡そ言葉の本質はその音声にあり、その言葉の作り出す音声は、その文化のもっとも代表的な表現となっている。だからこそ、外国語の受容にあっても音声の部面が最も魅力を持つと共に最も反発も受けやすい。日本語での発言の中に純粋なアメリカ語の発音で英語の単語を挿入してみれば、それは強烈なショックを聴者に与えるであろう。もしこの単語の量が一語や二語に止まらず、発言の2割、3割を占めた場合の反応は想像に難くない。  日本語の中に占める漢語の存在は昔も今も極めて大きい。これらを全て純粋な唐代の長安音や現代の北京音で発音した場合、それは日本語と言えるだろうか。人々から受容れられるであろうか。こう考えてみると、曾て一千数百年の昔に、日本人が中国の古典文化を貪婪に攝取しようとした際に、まず漢語の発音を完全に日本語らしい音に取替え、単語の意味だけを正確に利用しようとしたことの意味が浮かび上がって来る。漢語から中国語の音を奪うことはこの言葉を中国語としては「冬眠」の状態におくことである。他方、音または訓の日本語としての音を得ることによってこの字には日本語としての新しい生命が与えられた。当時流入した漢語の量の大きさから考えても、このような方法によらなければ、当時の日本は、国語としての日本語自体を失う結果になっていたかもしれない。大量の漢語の流入が行われたにもかかわらず、我が国ではこのような免疫処理を受けた漢語に対して、英語国民が、征服者の言葉としての仏語系単語に対して抱く根強い抵抗感のようなものが全く存在しないことについては、このような経緯を考える要があろう。


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